女性部(当時の婦人部)のブログです。
読んでみると、この人はとても聡明な知識と信心をお持ちの様に思えます。
文章自体も、読んでいてとても安心できる、そんな記事を書ける方です…。
創価母のつぶやきブログ…「善と悪は表裏一体&「SGI」は地球上の平和の団体」(2015年2月4日投稿)
プロフィールで「信仰人生42年の経験と思うことを綴っていきたいと思っています」と書かれています。
学会信仰42年間は、半端な年数ではありません。
そんな「信仰人生者」の書かれた記事の一つを眺めてみたいと思います…。
〇 〇 〇
「1月後半からの「イスラム国」の報道に心穏やかでなかったのは、皆様も同じと
思います。
何世紀にも渡って、人間は殺戮を繰り返しています。なぜにもっと賢い考え方が
出来ないのか?いつになったら人々が安穏に平和に暮らす世界になるのでしょうか?」
記事投稿日が2015年2月ですので、当時世界の様相が「イスラム国」の話題で騒然としていたのをいま思い出します。
「何世紀にも渡って、人間は殺戮を繰り返しています」
彼女はそう溜息をつきます。
確かに人間の歴史は、大小問わず戦争の歴史一色です。
この事は「有史以前」の人間同士の争い含めての話とも言えます。
特に、中世でのキリスト教徒やイスラム教徒同士は、戦争行為は日常のこと。
そもそも論として、彼等の神は「身内絶対優先」のそんな極論な教えです。
歴史においてスペイン人達の中南米での原住民に対する殺戮、西部開拓時代のインディアンに対する虐殺の数々、更に言えばカトリックの教えそのものの「時代錯誤性」等々数えればキリがありません…。
翻(ひるがえ)って、我々「仏教徒」としての国同士の戦争は歴史上ほとんど存在しないと言われていますが、しかし「縄張り争い(内戦)」的な戦闘に関しては中国、日本においても多々存在しています。
故に、彼女の話す上のこの言葉は、やはり切実なものであることは確か…。
「(そこには)やはり根底には何が大切か!!(と言う事を考える思考方法が必要となってくるはずです)
人間とは条件や環境だけで、平和に生きて行ける動物ではないと言うことです。『生命』をどうとらえるか!?
やはり哲学、思想の問題だと言う考えに行き着くのです」
これだけ世界に広まっているキリスト教、イスラム教等には、意外なことに宗教で絶対必要とされる「生命論」というものが存在していません。
存在するのは「神に対する絶対的な服従」、ただそれだけ。
「絶対」とは文字通りの意味となります。
信者個々人の「自由意志」などは、全く問題にもなりません。
プロテスタント系も同じような宗教教義を持っています。
当宗教は「聖書絶対性をモットー」としていますので、もしかしてカトリック系よりも更にその「絶対性」が強いと言えるのかも知れません。
アメリカはプロテスタントの国です。
「アメリカ国民」の種々様々な問題、つまり日々様々に報道されている「事件等」は上述したその「矛盾」から生じたものだと言えます。
正常な感覚を持った人間は、非論理的な教えにはなかなか従うことが出来ないのが現実です。
「聖書は絶対」、故に「聖書に書かれている」その通りの生活をすべきだ、などといくら口角泡を飛ばしながらお偉方に説教されたとしても、現実生活として「その通り」に生きていける人間が、さてどれ程の数存在するか……。
「キリスト教徒の矛盾」とはこう言う事なのです……。
イスラムもキリスト教から枝分かれしたものですから、根源は同じものを持っています。
「思想を毎日実践していくことを宗教と言う言葉になりますが、殺し合わない世界になるには、「生命」がもっとも尊いとする、「法華経」を広める事がやはり必要になります。
だからと言って全人類が「法華経」を信仰できるかといえば、不可能でしょう。(我々日蓮仏法の)信仰者としてはもちろん、「広宣流布」を目的に活動は止(めることは出来ません。)」
仏法、特に日蓮仏法には「生命論」が厳然として存在しています。
この「生命論」は仏法以外の宗教には全くみあたらない、そんな重要な宗教教義なのです。
「どんな人間の胸の内にも仏界は必ず存在する」と言う言葉を全世界に広宣流布するだけでも、世界の数々の戦争を確実に縮小させられる「切っ掛け」になるはずです。
武器の向こうに「自分と同じ仏界」を持った人間が居ると想像した時、果たしてその武器を実際に「彼等に使用する」ことが出来るかどうか…です。
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「簡単ですが、結局は「紛争、戦争、テロ」を防ぐには、他宗教や思想を包含しつつ、互いの違いを乗り越えて、友情の輪を広げて行くしか方法が無いと思います。
「目には目」「歯には歯」の考えでは永遠に負の連鎖を断ち切る事は出来ないのです」
「偏見」を乗り越えることは恐ろしく大変な事です。
どんな人間でも一度この思いに取り憑かれると、相当な努力をしないと取り除けません。
キリスト教とイスラム教の千数百年に渡った確執は、お互いの「単なる努力」だけでは乗り越えることは決して出来ません。
根源的な「生命論」での改革、境涯革命をも見据えたそんな徹底した「構造改革」が必要になってくるのです。
日本の創価学会や世界SGIの種々様々な平和活動は、偏屈なる一神教徒達のその「偏見観」を変革する為にも日々活動している訳です。
そして、そんな活動をもっともっと応援すべく、当ブログの様な「良質な学会系ブログ」を更に発掘していきたいと、乾河原はそう考えています……
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