当記事は、乾河原のかなり好きな分野の話です。
「三千大千世界の話」を自分が書くのなら多分こんな感じのものになるだろうと言う、そんな感じの記事です。
先に書かれてしまった…と言う感じの、チョイと悔しい気持ちも出てきます…(‘-‘*)
日蓮仏法の行者…「三千大千世界」(2023年3月15日投稿)
一寸夢物語的なブログ管理人の世界観を、少し覗いてみます…
〇 〇 〇
「この宇宙は差し渡し400億光年の大きさだという。(略)人類が誕生して数百万年と云われるが、それを1万回繰り返すほどの時間だ」
これは仏法で言う「三千大千世界」の、現代流の説明になっています。
「(略)」の中身は、宇宙関連に興味のない人にとっては読むこと自体が「拷問だ」という、そんな内容です。
宇宙というのはこれだけの広さと、そして歴史を持っているという、そんな説明…。
今現在、電波望遠鏡で確認出来る宇宙の距離は、大体130数億光年ほど先の宇宙です。
一応、138億年前に、ビッグバンからこの宇宙が拡大したという前提で現代宇宙科学が構築されていますので、後4~6億年ほど先の宇宙の状態が解ればラッキーという感じです。
デカいのにも程が有りますが……。
「(これだけこの宇宙が広大だと)五百塵点劫の昔(過去)から存在していた宇宙もあるかもしれない。釈尊はそこで修行を積んで悟りを開いた。その時からの弟子が地涌の菩薩と云う訳だ。
法華経の嘱累品のあとに妙音やら観世音やら普賢がやってきて釈尊と対面するが、彼らもおそらくは多元宇宙からやって来た者たちであろう。
ウルトラマンやメフィラスなんかも来ているのだから(来てないって)、彼らにとってはそんなに難しいことではなかったのであろう」
宇宙では「距離=時間(過去)」ですので、仏法で話される「五百塵点劫」のその昔とは、ビッグバン以前のその昔だったのかも知れませんね…(‘-‘*)
しかし、ビッグバンは一応「特異点」なので、現代の科学では理解することも想像することも不可能、と言う事になっています。
また、仏界を保持している生命体は人間とは別のものでも良い訳です。
人間は猿から400万年前程掛けて人間になった訳ですから、百億年単位の生命進化からすれば、人間とは全く別種の生命体が存在していた(る)とも言えそうです。
地球サイズの生命体が居たとしても全く不思議のないこと。
仏界湧現という事実を考えれば、彼等も「仲間」、つまり「創価学会員」だと言えそう…かな?
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「こう考えてくると方便土や実報土、常寂光土などもあっても良さそうな気がしてくる。それらの世界はこの宇宙の物理法則とは異なる法則のもとに成立存在していることであろう。物理法則は異なれど、この三千大千世界を貫く法が存在することは、いまさら私が云うまでもないことである。
その法を自受用報身如来に向かい奉り口唱できるということは、浮木の穴に比してもなお足りないと云うことも云わずもがなであろう」
物理法則が変わると生命そのものの在り方が変わる訳ですから、上の文章は若干の齟齬を感じます…。
とは言え、その物理法則自体も「南無妙法蓮華経」の顕現の一つだとすれば、確かにそう言う話も可能なのかも知れませんね…。
ただ、生命体は地球上の生命生態だけが基準ではないはず。
若しかして恒星の中にも生命体は存在する可能性もありますし、真空中で生きていける高等生命体も、これだって有りでしょう。
そう考えると、彼等の「唱題方法」も、それぞれの生命様式によって種々様々という話になってきます。
こう言う話を書き出すと延々何十ページにもなりそうですので、ここでお開きを…。
荒唐無稽な夢物語を語れる、そんなブログの記事でした……♥
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