「創価三代の誉れ」のこと

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創価三代の誉れ…「権力の魔性との闘い」(2015年7月16日投稿)

創価新報からの抜粋記事を掲載した記事です。

〇   〇   〇

大聖人は、「王地に生れたれば身をば随えたてまつるやうなりとも心をば随えたてまつるべからず」(御書287頁)と悠然と仰せになっている。
(この文言は)ユネスコ(国連教育科学文化機関)が編さんした『語録 人間の権利』にも収録されている

会社人間の自分とても、この御文は同感以上のものを感じるものです。
王地」を「会社」と読み替えれば、全くその通りだと実感出来るものですから…。

どんな会社組織にも嫌な制度や歴史が存在します。
そして嫌な同僚、バカな上司も多々存在します。

でも、そんな会社に毎日勤務してナンボの身。
嫌いだからと言って辞職する訳にもいきませんし、ぶん殴って辞めてしまう事も出来ません…(‘-‘*)
自分のそんな気持ちを何とか宥(なだめ)めながら、そして粛々とお勤めをしていかねばならない訳です。

でも自分の信心だけは、上司にも同僚にも靡(なび)く必要はありません。
しっかりと自分自身の信仰を、どんなことがあっても貫き通すべき、との御文ですよね。

死罪に等しいと言われた佐渡への流罪をもってしても、権力は大聖人を屈服させることはできなかった

佐渡流罪」は、所謂「遠流(おんる)」と言われるもので、鎌倉時代の罪状では死罪より罪一等を減じた、それだけの重みを持ったものです。
当に「死罪同等」に近いもので、流罪地では何が起こっても不思議のないそんな罪状だったのです。

ご存じの通り大聖人は、その死に等しい遠流さえも跳ね返しました。
我々がこの事から学ぶべき信心の在り方は、多すぎるぐらい多いですよね。

この大聖人の不屈の精神を現代によみがえらせたのが、創価の父・牧口初代会長である。
戦争へと突き進む軍部政府によって、不敬罪および治安維持法違反の容疑で逮捕・投獄。しかし、獄中にあっても毅然と信念を貫き、看守や検事にも仏法の正義を堂々と語り抜いた。
そして、崇高なる殉教の精神を遂げたのだ

牧口先生は、当時でもトップクラスの科学者でした。
地理学者という超難関な学問を専門とした、そんな人でした…。
そんな凄い人がこの日蓮仏法を選んだのです。
そして、日蓮信心を貫き通した後に殉教した訳です。

創価学会」はその牧口先生の不屈の「遺伝子」を受け継いでいます。
代わりに「某最弱小宗門」(別名・日蓮正宗)は、「平左衛門尉」の遺伝子を間違いなく受け継いだ組織なのです…(‘-‘*)

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そして、これからも、妙法流布の信念に生き抜くことを、自身を迫害した平左衛門尉の前で堂々と述べられるのだ」(順番を変えています)

若干話が横道に入りますが、「平禅門乱」(たいらのぜんもんのらん)という内乱が1293年5月29日に起こりました。

主導者は当時の第9代執権の北条貞時。
で、襲われた人間は内管領(御家人の筆頭人)だった平左衛門尉頼綱。
大聖人を散々パラ虐めた、あの頼綱くんです…(‘-‘*)

頼綱が余りにも権力を持ちすぎた為に粛正されたのです。
それも頼綱の嫡男の平宗綱が貞時に讒言した訳です。
ついでに、頼綱一族郎党の93名も、燃えさかる火の中で恐怖におののきながら焼け死んだと言う事です…。

かつての平左衛門尉」は今どこに…?
それとも、「居られた」のやら……(‘-‘*)


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