創価・SOUKAブログ…「原爆の…(略)…の全文」(2023年5月19日投稿)※長文の題名ゆえほぼ省略
漫画の「はだしのゲン」の話を話題とした記事です。
これは結構有名処の長編で、地味ながら長期に渡り人気を博しているそんな漫画作品です。
ブログの記事自体は非常に短いもので読みやすく整理されています…。
〇 〇 〇
当作品は今更の説明もないのですが、漫画家自身の被爆体験を元にした自伝的長編作品です。
この作品を元に実写映画やアニメ、更にはテレビドラマ等も制作されています。
当作品は、1973年「少年ジャンプ」で連載され、1974年に終了。
故に漫画としてはかなり古風な作りです。(まあ個人的な感想ですが…)
テーマは、戦後の激動期の人間達の生きる「逞しさ」を描いたものです。
反戦ものとは若干毛色の違ったものになっています。
作者の中沢啓治は、当作品を一人で描き上げたという話です。
普通これだけの大作だと数人程の補助スタッフ(アシスタント)を置きますが、自身の体験を汚したくないと言う事でこう言う体制を取ったという事です…。
さて、当ブログ記事の荒読みに入ります…。(漫画の話題だと、放って置いたら何十ページも書いてしまいそうなので、ここで句読点を…)
「yahoo!ニュース
広島市立小中高校の平和教材から漫画「はだしのゲン」が削除される方針が報道された。(その結果)2月、全国の書店でゲンの漫画本の売り上げが通常の10倍になったことがわかった」
「削除」のその理由として、
「改訂前の小3の教材では、主人公のゲンたちが苦しい生活の中、家族のために浪曲を歌って日銭を稼いだり、近所の家のコイを釣ったりする場面が使われていたが、
「浪曲はいまの児童にはなじまない」
「コイを盗む描写は誤解を与える恐れがある」
という有識者の指摘などがあり、別の被爆者の話に差し替えた」
との報道を、ブログの管理人が記しています。
私は漫画と言うものを「芸術」などとは思っていませんが、しかし次の時代に残していくべき作品というものは、間違いなく「存在」していると思っています。
それが戦前に描かれたものであろうと、戦中・戦後の早い時期に描かれたものだろうとも、作品の内容が「良質」であれば、それは残すべきだと考えるのです。
手塚治虫作品は日本の中では特別の存在となっていますが、手塚治虫は良くて中沢啓治は駄目だと言うその「根拠」を示せと話した場合、さて「有識者の彼(女)達」は一体どう反応するのでしょう?
「浪曲」や「鯉泥棒」の話題は、戦後のその当時の時代背景には必須の「話」であるはずです。
事実を元にした様々なストーリィを、今現在の考え方から「駄目!、良し!!」などと言う事自体がナンセンスそのものです。
それならば手塚治虫や石森章太郎等の作品の中にも、かなり時代錯誤に感じる箇所がありますが、さてそれらはどう考えるのか、それが知りたいですよね…。
「(中央公論新社)同社の担当者は「報道を受けて、昔読んだ人がもう一度読みたいと考えたり、子どもや孫に伝えたいと思ったりして購入しているのではないか」と話す」
と言う流れになっていますが、これは当然の結果だと私も考えます…。
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ヤフーコメントに載っているものを記事に載せてもいます。
なるほどと思わせる、そんな感想。
「盗む (行為の善悪)という事より、身重の母ちゃんがなぜ腹を空かせてるのか?なぜ、主人公も含めて腹を空かせる事態になってしまっているのか?
そこを(現代の子供達に)感じ取ってほしい(と思う)」
こう言う「ニュース」をブログ記事に出来るブログ管理人の「感性」に脱帽。
見習わないと……
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