日蓮正宗「信心」の真実

数ヶ月前から(思い出してみるともっと前からですが…)法華講員と「紙上対話」をしていました。
紙上対話、つまりコメントでの信仰の話のアレコレです。

法華講の彼は、兎に角執念深く乾河原の「御本尊」を批判します。
それも、無意味な「御書の文言」を書きつらねながら、です…。

〇   〇   〇

こちらがどんなに「体験(現証)」を記しても、それに対しての同意は決してしません。
どんなに具体的な話を出して見ても、です…。

例えば学会と宗門が分離して、その後の「学会の興隆」と、同じくその後の「宗門の閑古鳥」の話をしても、決してその「事実」には答えず、執拗に「お前の御本尊は偽物だ。偽の功徳だ…云々」の、その延々繰り返しなのです。
法華講員には学会に対する時のマニュアルがあるそうで、多分それをそのまま機械的に繰り返しているだけなのでしょうけども、さっぱり話が進んでいきません、「対話」にならないのです。

乾河原は、法華講員の彼に「あなたは私の質問に先ず答えるべきだ」とのコメントにも、更に強い調子で「偽御本尊………」の繰り返しなのです。

彼の話には、「これがこうだから、だからあなたは間違っている」と言う具体性が一切存在していないのです。
何だか頭の悪いAIと対話しているような、そんな気持ちになってしまいました。

最後に乾河原も切れてしまい、「あなたの御本尊は本物なら、じゃああなたは宿業転換も仕事も今現在は最高な状態なんでしょうね…!?」のコメントを送付しました。
何と、その後ピッタリと彼からのコメントが切れてしまいました…。
あれだけ執拗極まりない御託を送り続けてきた彼が、以後何の音沙汰もない状態となったのです。

…変な感想ですが、個人的には、彼はある意味「正直な人間」だと感じました。
若し、宗門の思考法に塗(まみ)れた人間であれば私の話に対して、「おう、今は幸福の絶頂だぞ!!」などと言う嘘八百のコメントでも送れるはずなんですが、それが出来なかったという事は、何となく後ろ暗い思いに囚われたのではないかと、個人的にはそう想像するのです…。

〇   〇   〇

日蓮正宗(法華講)の信仰形態は完全に間違っています。

これは想像や偏見で話しているわけでは決してありません。
文字通りの「真実の話」なのです。
乾河原は、法華講員とは過去2回、今回も入れて計3回の紙上対話をしましたが、結果は今回の話と大同小異。

日蓮正宗の「信心」は100%間違っています。
学会が正宗のことを、「邪宗」、また「日顕宗」と呼び捨てにするのは、真実理由のあることなのです。

若し今創価学会に「疑問」をお持ちの方がいましたら、即学会批判者の世界に飛び込まずに、先ずどこか学会擁護ブログの管理人さんに相談をしてください。
そこで自分の「答え」を見つけるべきです。

もう一度考えて、そして行動すべきです……


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Author: 乾河原

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