「師弟不二ARCHIVE」のこと

師は言った「深く大きく境涯を開き、目の覚めるような自分自身と創価学会の発迹顕本を頼む」と

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師弟不二ARCHIVE…「ある離脱僧の話(2016.9.15投稿分)

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投稿者:虹と創価家族 投稿日:2016年 9月15日(木)10時59分53秒   通報 編集済

ある離脱僧が言っていた。
「宗門が酷いと思って出て来たが、今の学会はもっと酷い」と。
「池田先生しか信用できない」とも

離脱僧」とは、多分ですが某最弱小宗門からの「離脱した僧侶」のことだと思いますが…。
宗門・学会共々見て、体験してきたそんな人の感想です。
彼が話す「宗門が酷いと思って出て来たが、今の学会はもっと酷い」との言は、かなり重要な示唆を秘めている言葉です。

今の創価学会の様々な「不具合」…。
地区や支部の運営の仕方や、また幹部の部員さん達に対する対応にしても、個人的に考えて見ても確かに問題点は多いようです…。

さて、これは個人的な体験なんですが、座談会で乾河原が題目の事を話した時に、ある「(確か)本部幹部」から出た言葉です。

題目ばかりやっていても仕方が無い…

その座談会には乾河原の妻も参加していました。当然彼女もその言葉を聞いていました。
帰宅して二人で「あれって、一体何だったんだろうね…」などとつぶやき合ったことを思い出します。
そしてそれだけではなく、他の会合時にも題目の話に関して同じような「批判」をされた経験を持っています。
まあ、これを「批判」と呼ぶのは余りにも酷い話ではありますけども……。

こう言う学会内での「問題」は他の地域の地区や支部等でも存在しているのかも知れません。

僧侶でありながら、教義の改変にも蚊帳の外におかれ、一言の意見もいうことができない。
葬儀に呼ばれることも少なくなり、完全に飼い殺し状態
単なる会館寺院の管理人であれば、頭を丸めている必要も意義もない。
宗門対策に一時的に駆り出されたが、今や使い捨てのライターのごとく、希望も使命も見いだせない

創価学会での「宗門対策」とは言え、そう言う機会はなかなか発生することはないのかも知れませんし、またやはり今の創価学会自体に離脱僧侶へのそう言う「配慮」が足りないのかも…。

これは単なる想像でしかありませんが、若しかして学会幹部の頭の中に離脱僧への「偏見感」が存在しているかも知れません。
…そうではないといいのですが。

〇   〇   〇

並々ならぬ決意で出家され、強い使命感を持って離脱したのに本当にお気の毒です

宗門問題が発生し学会が宗門から「離脱」して、はや数十年。
今の創価学会は、宗門の影もたった一つも無くなりました。
で、創価学会は創価学会、そして某弱小宗門は宗門と言う「立て分け」が出来つつあるのかも知れませんね。

腐敗しきった宗門からの命がけの「離脱」。
にも関わらず「同じ臭い」を創価学会の中にも感じた当離脱僧の思い…。

個人的に思うに、創価学会は今現在重大な「分岐点」に差し掛かっている様な気がしています。
人間革命・宿業転換」等を表看板に掛けていて、いざ中身を見ると上の様な様々な問題が噴出しているという「現実」を考えると、本気の本気の人間革命を考えている学会員が全体から見ると、さてどれ程の「」存在しているのかと言う事に、やはり疑問を呈したくなってしまいます…。

だから余計に、現在程池田先生の「指導」が本気で必要とされる時代は無いのだと、そう思うのです…。


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Author: 乾河原

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