「ヨハネは「イエスがメシアである人は皆、神から生まれた者」と言っています。
「神から生まれた者」は、神さまの子です」
一神教からすると、神は数千年前に突然宇宙を造り給もうて、で色々創作した結果、最後に人間を造ったと言うお話しですが、さて意地悪な言い方をすると、イエスを神と「思わない人」は、通常通り、つまり地球での進化論的成長から普通に発生してきた生物だ、と言う事になりそうです。
しかしまあ、どんな話を「創作」しようとも、138億年の宇宙歴史、更には地球での46億年のそれぞれの歴史は、現実的には決して否定できない話です。
と、そんな疑問を湧き上げてくれる素敵なキリスト教ブログ。
あなたは神様に愛されている!!!…「2022-02-12」(蝉霧雪桜管理人のミスによりアドレス不明)
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「神さまは神の子たちを愛しておられます。それで神の子は神さまを愛します。神さまを愛する者は、神さまの子たちを愛するのです。
この交わりの中に、私たちは入れられているのです」
偉く回りくどい話し方ですが、何となく理解出来そうですか?
要するに、神を愛する人は神から愛されますよ、と言うハッピーなお話の事。
でも、仏教者達は神を愛しても、また憎んでもいません。
そもそも神の存在すらに興味を持っていないのですから、まあ当然です。
人間の生活に神を介在させるとどうなっていくのかは、中世ヨーロッパや現在のアメリカの社会状況を見ればよく理解出来る事です。
また、これは若干の紆余曲折な話になりますが、共産中国の国家状況を見てもその不安定さがよくわかる事です。(キリスト教と共産主義の蜜月関係は、また日を改めて)
それは兎も角、彼(女)がここで言わんとする事は、何人も神を通してしか、思考にしても生活にしても行えないのだと言うお話です。
でも、そんな窮屈な生活に本気で耐えられる人が果たして存在しているのかどうか。
「ヨハネはこの手紙を通して伝えていることは、イエスさまをメシア、救い主と信じる者は皆、神さまに愛される子とされ、神さまを愛する者として、神さまの子たちを互いに愛するようにと導かれることであります。
この交わりの中心にあるのは、イエスさまをメシア、救い主と信じる信仰です」
因みに「メシア」とは救世主の事です。
イエスを救世主(=神)と信じる人々は神(イエス)から愛されますよ、と言うヨハネからの福音メッセージです。
これは勿論聖書の言葉ですが、この言葉を若干深読みしてみると、じゃあイエスなど興味も何も無いという人々と彼等イエス信者とは、一体どう付き合えばいいのでしょうか?
イエス派はお互いに愛し合うのでしょうけど、でもイスラム派とイエス派はお互い愛し合えない、と言う事になりそうです。
ましてや、一神教徒から見れば仏教徒は無神論者と見られていますが、仏教徒とキリスト教徒とのお付き合いは、さてどうなってしまうのでしょう?
有り難いヨハネ様のお言葉からは、その解決策は何だか見つかりそうにありません…ね。
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「これこそ、世に打ち勝つ信仰に他なりません。なぜならイエスさまこそ、世に打ち勝たれたお方であるからです。
今なお、この世にあって弱さのある私たちですが、世に打ち勝つ信仰にすでに生かされているのです」
仏教の十界論、そして一念三千論は、ほぼ無限に存在する人間の命(種族、性格、宗教等)の平等性を、一貫して説いています。
そこには、誰それの派がどうだの、どの宗教がああだの等の話には何の意味もないと言う事を、具体的な話も含めて種々様々に展開されているのです。
他人への愛を盛んに説いているキリスト教が、何故中世の十字軍などと言う破廉恥極まりの無い無意味な虐殺行為に走ったのでしょうか?
体に爆弾を巻いて「神の御許に行くのだ」と自爆テロを繰り返すイスラム原理主義者達。
「周りは全て敵だ!!」、と永遠に戦争をし続けているイスラエル国……。
彼等一神教の聖典には、人間に関する考察はたった一行も説かれてはいません。
あるのは自分と神との関係のみ。
それも上位の神をただ敬う事、ただそれだけなのです……。
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