教学の中の「十界論」を、日常生活的に身近な話題として「説明」する事って、メッチャクチャ難しいと思います。
ましてや「十界互具」や、更には「一念三千論」になどなってしまうと、適当な教学力しか持っていない乾河原にとってはおよそ不可能に近い問題になります…。
でも、この説明が易々と出来るそれだけの力が付くと、結構面白い記事が書けそうではあります。
そんな悩みの中、こんなブログを見つけました。
驚愕の教学…「驚愕の十界論」(2010.01.29掲載分)
…易しく日蓮仏法教学を説明しているかと言うと、そんなに平易な書き方ではないのですけども、チョイと目先の変わった十界論を展開している場所がありまして、そういう処に惹かれてしまいました。
また、自身の仏法教学への、小さいながらも疑問を乗り越えるための一つのステップ方法を見つけた気もしています。
そんなブログの、ひとつの記事を紹介します。
〇 〇 〇
「十界をランキングのように縦一列に並べることは実は間違いです。あえて言うなら各界を中心に残りの九界が取り巻く形になっています。
そのモデルを作るとしたら2次元の図式でも3次元モデルでも表せない不可能な形になります」(段落と言葉を若干変更…以下同様)
絵に描いて地獄界~仏界迄の十界を段階的に並べることは、よくある説明方法です。
しかしブログの彼は、その段階式は「間違い」だと述べます。
段階法を否定して、敢えて説明するなら、「各界を中心に残りの九界が取り巻く形になっている」と話します。
これって、確かにそうみたいです…。
段階的に十界論を考えることは普通に行われますけども、キリスト教教学の「三位一体」的にそれぞれ同等の重みを持っていると言う説明は、とても正しい様な気がします。
ただ、仏界と地獄界を並列に並べる事って、さていい事かどうかについては今後の検討次第かとも…。
「仏界と直接、接して地獄界や菩薩界の他九界が隣合わせにあります。それと同様に人界なども他の九界が直接接して隣り合わせにあります。
こんな形は3次元の立体モデルでも表せないので頭でイメージして頂く他ありません。
もともと生命の十界を形にすることなど出来ませんが、十界の関係性を表すとしたそういう形になるのです」
この図は元ブログに掲載していますので、若し興味を持った方は観てください。
意外に納得出来そうな図解ではあります。
まあ、形而上学 って絵にはなかなかし辛いものではありますので、どうしても「イメージ的」な方法で表すしか無い事も確かです。
「(十界それぞれ)どれも中心の位置にはないですが、どの球体も他の9個の球体とパイプで手を取り合っている状態なのであえて言えばこちらのほうが十界の関係を正しく表したモデルに近いですね」
昔は当然「3D」と言う概念自体がなかった訳で、一念三千などと言う難解中の難解なイメージを結局「宝塔」と言う認識方法で表した現実があります。
当時の人にとって、この手の表現法がとても分かり易かったのでしょうね…。
でも、今現在の人々にとっては宝塔ってやはり古くさいものに感じます。
今現在で一番近い方法論は、若しかして「立体相関図」なのかも知れません…。
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「強い自我とはまさしく「仏の生命」であり「仏界」です。平たく言えば「強い心」「負けない心」もっと身近に言えば「決して折れない心」を「仏界」というのです。
強い心を持つ人の十界と弱い心を持つ人の十界では雲泥の差で機能します」
「そして強い心はどうやって手に入れるか・・・それは命が綺麗になった分だけ命は強くなるのです。ですから命を綺麗にする方法といったら末法では唱題行のみです。
それ以外の方法は全くありません」
「十界論」の説明は、多分こんな感じで一応の理解は出来るのでしょうけども、ブログの彼の話す通り、その理論自体を腹の中に入れる方法は、やはり唱題行に尽きると思います。
でもまあ…この唱題行が一番の難問ですよね…。
ネット上には様々に仏法教学の我流的学会批判説明が横行していますが、彼等はそもそも論として「唱題」に関しては全くの「ゼロ」のご様子。
そう言う種類の人間にこそ、この手のブログの記事をしっかり読んでほしいと希望的観測ですが、そう考えているのです…。
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