当サイトは御書や仏法史等の勉強が主となっている、そんなブログです。
そんな中に「体験談」がひっそりと掲載されていました。
乾河原も無視できないそんな体験記事ですので、少し眺めてみたいと考えます。
JunkDarkの勉強部屋…三障四魔憤然として競い起こる(2011年2月24日分)
〇 〇 〇
「(今年は)部長と言う新しい立場で、挑戦の連続です。
そんな中、3月に1通の封筒が届いた。
かなり昔に登録した「骨髄バンク」からの骨髄提供のお願いだった。
患者の5年後生存率が提供するのとしないのでは、生存率が6割は違う事実」
骨髄バンクに登録するという「決意」は普通の人でもなかなか無いのではと思いますが、男子部の彼はその道に躊躇なく入った人です。
乾河原の会社の同僚に、血液バンクに定期的に行くと言うちょっと変わった趣味の人がいます。
その人と同じとは言いませんが、個人的には結構凄い人だなあと感心します…。
「コーディネーターに、「GWなら提供出来ます。」と連絡を入れた。
すると、「では、事前検査をしますので、○○日に××病院で」と相なった。
検査当日、仕事を半休して病院へ。(略) 血管外科の医師から、説明を受けながら採血(略)。
(数日後)結果は「血液が基準外の為、提供対象外になります。これから2年間は登録解除です」との事。(また)コーディネーターからは「血液の数値に問題があるから精密検査をした方が良いですよ。」とも言われた。
後日、再び病院に向かい、精密検査。
検査の結果判ったのは肝臓不全とたん管ポリープの発見。
(略)幸いすぐに手術とかではなかったので良かったが、治療と生活の見直しをする事になった」
こう言うのって、定期検査を受けていると時折出てくるそんな「結果」です。
そう言う意味では、会社での健康診断は無駄ではない様ですね…(‘-‘*)
更に今度は、部員さんの体験が載せられます。
「(6月)同志のTさんが入院した。
肺がんのステージⅢbだった。
かなりのチェーンスモーカーだったので、冗談で肺がんになるぞ。と言ってたら本当になってしまった」
こう言う話も、多々…。
たばこと肺癌との関係は、これは密接なものだと言う事は医学的にも証明されていますので、個人的に考えても何ともはやという感じでしょうか…。
「彼は幼子もいる、働き盛りの37歳だ。寡黙だが熱い男で、信心強盛の「信念の人」でもある。一家の大黒柱が入院して家族は、さぞ大変だったと思う。
2ヶ月に一度、経過報告してくれていた。
10月、抗がん剤が効いて腫瘍が小さくなった。と聞いた。12月には、少し体調が良くないが全力で広宣流布をしています。と聞いた。
(しかし結果は)
先日、Tさんが霊山に旅立たれた。全ての戦いに勝利しての旅立ちだった。病室でも仏法を語り、ターミナルケアで在宅になっても友人に政治も語っていた。未活動だった奥さんも、活動を始めた。
子供たちに、「お父さんは病気に勝ったぞ」と宣言し、咳きも出ず、肺がんとは思えない程の安らかな旅立ちだった」
仏法上「生老病死」は必至のこと。
とは言え、自分が「癌」だと気付かされた時のショックって結構大きいものだと想像します。
目の前が真っ暗になる、と言う話も聞きますから。
ましてや彼は、働き盛りの真っ盛りの年齢。しかも小さな子供もいた訳です。
信心を抜きにしても彼の無念さは、これは他人には理解し辛いとても重いものだったと思います。
しかし、日蓮仏法から言って癌になる事自体は特に不幸だとは言えません。
問題は、その癌を理由に大騒ぎをして自分が不幸のどん底に落ちた様に感じ取ってしまうのか、若しくは、信心の心で自分の今の状態をしっかり見つめ続け、そして腹を決めるか、その違いなんだろうと思うのです。
乾河原も個人的な体験として、前立腺癌を2022年6月から患っていますので、その事は非常によく理解出来る話ではあります…。
まあ、前立腺癌は肺がんから較べると軽いものですから、肺がんの彼から較べれば大した思いもないのでしょうけども、やはり「がん」という言葉自体に衝撃を受ける何かそんな雰囲気を持っているものだとも言えそうです…。
〇 〇 〇
「常に、「今、何が出来るか」を考えよう。
出来ない事を言うのは簡単。出来る事を行動するのが難しい。
他人や後継に、自身の広宣流布を任せるのは止めよう。
自分の国土を三変土田をするのは、自分なのだ。
それも自身の為でなく他人の為になら、より行動した分だけ、幸福の寂光土を築けるのだから」
「今自分が何が出来るかを考え続ける」って、とても大事な事だと考えます。
自分に出来ない事を何百年考え続けたところで、文字通り念仏が目指す「蓮の上での修行」の話になってきます。
「百年清雅(せいが)を待つ」的なそんな人生など、創価学会員としてはとても考えられない話になってきますよね…。
「学会崩壊都市伝説」を今だに性懲りもなく騒ぎ続けている学会批判者、特に退転者達に、こう言うブログの記事を無理矢理にでも読ませてやりたい気もしていますが、どうでしょうか…。
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