私は宿業深き創価学会員 もう生まれ変わらないつもりだったが、少し考えている⁉️…「人間一回目」
この超長いブログ名の管理人さんは、自己紹介でこう記しています。
「私は本が100冊くらい書けるほどの信心体験があるので、(こんな)ブログを書きます。
ネット上に数多あるアンチブログに、(そんな中傷批判に対して私は)体験と御書で対抗します」
創価学会信仰での「体験」は、どんな馬鹿な学会批判や中傷に対してもビク付きもしません。
おまけに、「御書の盾」があれば文字通り「仏に鉄壁の盾状態」。(…ちょっと変かな?)
そんな素敵なブログを、今回紹介します…。
〇 〇 〇
「(未活動の)主人には、長男からイエローカードがいっぱい出されている。普通なら、退場処分である。
それを、温情でレッドカードにならずにつながっている。
(ご主人)本人はそれを知ってか知らずか、今日も明日も暴言を吐く」
未入会・未活動家族の学会世帯は、やはり苦労が多いようです。
学会からかなり距離を置いた一般人さえも、創価学会員に対しての暴論・暴言の数々は多々存在しています。
ましてや身近な人間からのそれは…。
でもしかしこの管理人さん、もうそんな暴言には屁とも感じていません。
「もう、暴言にもだいぶん慣れてきた。
慣れないときは傷つき、ストレスMAXで病気にもなったが、慣れるものなんだな。
グループホームを始めたことで、その傾向性が突出して出てきただけで、昔から持っていた特性(宿業)なので、驚くことではない。
グループホームを始めなくても、いずれ出ていたことかもしれないので、グループホームを始めたことを後悔する必要もない。
最近は、長男も私も怒りやあきれを通り越して、「しゃあないな、人間1回目なんやから」で、全てをすましている。
人間1回目、便利で楽しい言葉である」
個人(か、または組織)でグループホーム(地域密着型老人ホーム)を起業した当管理人さんです。
当然仕事も大変だし、また未活動のご主人からの「アレコレ」も更に更に大変です。
面倒い宿業と言う仕事を一杯背負って頑張っている彼女は、本当に強い学会女性部さんだと感じます。
勿論「現在の状況だけ」を見て、そう言う皮相的な感想を出すのは彼女に対して失礼だとは思います。
当然のこと彼女が記すように本が「100冊くらい書けるほどの信心体験」のその結果の「強さ」なんでしょうけども、個人の感想はやはり凄いな…と言う感想を漏らしてしまいます。
こう言う人が、もっともっと増えてくると、これからの学会の様相も変わってくるのかも知れません。
「うちは普通の家ではなく、(略)福祉施設なのである。
最近利用者さんがどんどん増え始め、毎日見学や問い合わせがある。
おかげさまで、部屋が足りないくらいの事態になっている。
そりゃ、毎日祈っているからね。うちのホームが繁栄していきますように、と」
御本尊に彼女の如く本気で祈っていけば、確かに繁栄します。
当然のことです…。
…が。
「しかし、肝心の管理者(責任者)である(ブログ管理人さんの御)主人と、なかなかみなさんとを会わせられないのです。
どんな態度を取るか分からず、会わせることは一か八かのかけみたいなものなので笑笑」
こう言う状況では、ブログ主さんの様々な「苦労」の数々が載せられるのが大体普通なんですが、なんせ彼女は創価学会員としての「信心の塊」の人、「旦那の不甲斐なさ」をここでは吐露しています。
勿論彼女の長男さんのバックアップもあっての、この状況なんでしょうけども…。
「ときには本当に情けなく、なんで結婚したのだろうと思うこともある。
ついこぼすと、長男に諌められる。
「は?そこから?」、と。
「あなたはあのおっさんと結婚したことにより、魂の修行をさせてもらっているのですよ」、と(も)」
長男さん、貴方は偉い!!
これってほぼ学会家族の理想像に近いものでは…?
「四人の子宝にも恵まれ、その中に障害児が生まれ、その障害児が奇跡的に結婚したことによってさらに二人もの障がい者を抱え、苦労した末に、今や会社の代表ではありませんか、と(長男)」
こう言う凄い後継の人材を彼女たった一人で作り上げた、その事に拍手喝采をすべきです。
「そうですなあ、、、あの人と結婚していなければ、信心など全く知らずに今世を生きていたのだろうから、その一点に関してだけでも、感謝しないとなぁと、思う」
彼女は長男の言葉にこんな感想を述べるのです。
母が母なら、息子も息子…と言う学会家族の肖像画です。
それにつけても、旦那のだらしなさは半端じゃない気もしますが…。
〇 〇 〇
「ー世の中に恩人はいろいろあれど、御本尊を持たせてくれた恩は、三世の幸せにつながるーと、戸田先生。
そうです、私の方の一族から、初めて学会員が誕生し、そこからこの一族の宿命転換が始まったのだから。
(その)三世の幸せを、主人からいただいたのですから、大感謝しないといけません。
何があっても大丈夫、大丈夫、と毎日自分にハッパをかけられる題目を知り、私みたいなあかんたれでも、少しは強くなることができました。
境界が上がるにつれて、しんどい坂も楽しいハイキングになるのです」
絵に描いたような、そんな創価学会信仰の功徳を受け続ける彼女の綴るこのブログは、これはとても貴重な信仰体験の塊です。
こんな、信心の尽きない話が書けるまでの信仰者になるには、個人としてはまだまだな感じの、そんな乾河原の感想でした…。
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