「桜梅桃李カテゴリー」(学会応援ブログ系)でこう言うブログを載せるのも、若干気の引けるものがあることも、確か…。
でも、このブログの「おじさん」の気持ちも、大半の学会員の信仰生活感を代弁しているのではないかとも思っています。
若い時分はイケイケドンドンで、学会批判者が目の前に居れば突き飛ばしてでも自分の学会気質を見せていたものの、年齢を重ねると体も精神もなかなか一直線的な行動は取れなくなっても来ます。
一般社会の常識の目も、自分の生活もあるしな…などと。
ブログのおじさんは学会批判者的な感覚では(まだ)ありません。
そこが救いなんでしょうか…。
そんなおじさんの一面を、乾河原的な感覚でチョイと掘り下げて眺めてみたいと思います……。
〇 〇 〇
「悲しいニュース(2022年9月8日)
地区部長会行ってきました。下半期の動きが打ち出されましたね。いつもの月一の座談会とセミナーって感じです。
もう何だか変わらなさ過ぎてとくに何も思わなかったなぁ…
来年の統一地方選挙に向けて拡大を〜ってかぁ…
無理だなぁ(悲)」
毎回の学会本部からの「打ち出し」って、文字通り相も変わらずのマンネリ感を持った、そんな会合です。
これって多分個人的には、「学会草創期から」大して変化のないものじゃないかなとも想像しています。
でも自身の「境涯革命」の闘いって、どんなに時代が重なってもそんなに変化のあるものではないはずです。
学会信仰での自身の仏界湧現の行動様式は、多分数千年後の創価学会の闘いに於いても、今現在のものとの違いは対して感じられないような気もします…。
基本、人間って何万年経とうともさして変化のないものですからね。
故に、マンネリ化は仕方の無い事だと考えますが…。
「でもまぁ青年部時代と違ってゆとりに満ち溢れており最高ですw下半期もマイペースよ♪
青年部と言えば…もはや役員しか存在せず。参加者としての青年部はゼロ。
だよなぁー
昔はS(創価)班出動してたのに……。
(略)
自分なりに頑張ったけど全然ダメだったもんなぁ。後継の人材、作れませんでした。
すんません、ポンコツで」
現時点での学会会合は、おじさんの話す通りの状況のようです。
今の青年層(壮年、老年層も同じですが)は、経済的には学会草創期のような「食うか食わずか」の時代ではなく、普通に働いていれば普通の生活が出来るそんな時代です。
非常に恵まれた生活の中で、「信仰」という一見面倒なものに対しての目が行き辛くなっています。
…とてもいい時代だとも言えます。
でも逆に、「経済的な話」からの折伏は出来ませんよね…。
じゃあ精神的な面から…と言う話は良く聞きますが、これとても互い余程突き詰めた話にならないと、なかなか無理感も存在しています。
精神的に切羽詰まった友人に対して、では学会信仰をと言う方向にも、以外に持って行き辛い処もあるようです。
人間って、衣食足りると後の問題には大して興味がなくなるものですから…。
そんな時代の中、おじさんはおじさんなりに後継の人材を作ろうと頑張った跡が感じられます。
結果は兎も角、信仰の面からすれば、おじさんは立派な創価学会員じゃないかと私は思っています。
「まだやっていいくんだ(2022年9月21日)
先日の聖教(新聞)。
男子部の人材グループの大会が一面記事になってましたね。
*そういや青年部長・男子部長も交代の記事も一面だったか
いやいや、この記事一面に載せるものなのか…?内部向きじゃ…?これ学会員以外ポカーンでしょ(笑)
以前対話していた知人から言われたことがありますよ。
勝ちまくれって記事出てるけど何と争ってるの?ってw俺吹いちゃったw」
おじさんはこう話します。でも聖教新聞って「宗教系の新聞」なんですが、彼はそれを失念しています…。
一般の話題も勿論載ってはいますが、中心軸は日蓮仏法での信仰の方法論が書かれたそんな新聞です。
なので「人材グループ云々」の話が載せられているのも、そんなに不思議感感のあるものではないはず…。
折伏に於いて、未信仰者に聖教新聞を見せたり贈呈したりすることはママありますが、それとても贈呈された人もこの新聞は「宗教新聞だ」と割り切っていることも確かの様ですから、そんなに気にする必要も無いと思います。
「勝ちまくれ」という意味も、「吹く前に」おじさんがこの学会信仰の「意義」(一体何に勝つのか)を説明すれば済むことです。
まあ、彼が判ってくれるかどうかは、別ですけどね…。
現実として、一般社会で「自身の境涯革命」などと言う突拍子もない考えや行動は、ほぼあり得ないものです。
職場でもそうですが、(良くも悪くも)今現在の状態を現状維持すると言う事だけが社会人としての「常識」になっていると言う事は間違い無く言えます。
悪い状態を、そのまま「三猿」的に見ない・聴かない・話さないのが「立派な社会人」だととされているのです。
今のぬるま湯的な素敵な状態を変えるなんて、「怪しからん!」と言う感じ…
「人間革命」と言う考え方は、多分ですけども、将来どんなに時代が進んでも一般社会からは拒否感を持って見られ続けると言う、そんな考え方なんでしょう。
その事を前提に折伏をしていかないと、結局学会批判者系の底なしのドツボに落っこちてしまう可能性が大だと言えそうです…。
〇 〇 〇
「いつまで(こんな会合を)やっていくんでしょうかね(笑)
(略)
もう組織が成り立たなくなりましたからねー。人材が陸続とか言っちゃダメっすよ
居ないでしょ?人材なんて」
おじさんは悲しいことに、ギリギリ学会批判者系の世界に足を踏み入れようとしている、そんな人に思えます。
でも考えるべきは、創価学会信仰ってただの一時期「だけ」を取り出して云々できるそんな薄っぺらなものではないはず。
少なくとも直近で言えば数ヶ月・数年、普通に話せば数十年単位で経過観察をしていかないと、「本当の姿」は見えてきません。
「個人的な境涯革命」一つとっても、五年、十年スパンで見ていかないと全く何も見ていないのと同じになります。
個人的には今の学会の状況は、次のジャンプに向けての「踏ん張り時」の様に思っています。
多分このコロナ渦を過ぎれば学会内部とその周辺からの変化が徐々に目に見えてくる様なそんな気がしているのです。
そんな状態になった時におじさんは、また昔のように学会の信心を踏ん張ってくれそうに思っていますが……。
期待を込めて、こんな記事を書いてみました。
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