日蓮仏法の宗教教学の勉強サイトとでも言うのでしょうか、数は多くはありませんけどもその種のものがネット上には存在しています。
キリスト教や他の宗教系にもありますが、その創価学会版です。
ちょこっと教学のブログ…数記事分
宗教の教え(教学)って、少々取っつき辛いものですけども、このブログ記事はモロで「ストレートな教え系」じゃなく、意外に若干の柔らかさも持っていますので、一度見てみるのも面白いかも…です。
その中から、乾河原の気に入った記事から何本かをピックアップしてみます。
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「退転者や学会アンチの方が言う「創価学会は◯◯だ!!」「昔こんな酷い目にあった!!」といった批判的な発言ですが、正直とても理解できます。
私にも不信の時期はありましたし、その時は学会に対して批判的な思いを抱いていました」
ブログの彼は、学会批判者達のそんな無意味な批判囂々(ごうごう)に対して、こう切り返します…。
「信心を続ける上で大切な姿勢は、依法不依人(えほうふえにん)です。
依法不依人とは、仏道修行においては仏の説いた経文を依り所とするべきであり、人師・論師の言を用いてはいけないという事です。
私たちが根本的に従うべきは御書であり、御本尊様であり、南無妙法蓮華経という法なのです」
経験上学会批判者達の学会への中傷は、ブログの彼の言う通り「人・組織に対して」のそれを飽きもせずに今だに繰り返しています。
「人」とは、代表的には池田先生、そしてかつてお世話になっていた地区幹部に対してと、そして創価学会そのものに対しての中傷等です。
批判内容は、それぞれ批判者達は様々に色付けはしていますが、結局突き詰めれば誰それが悪かったから退転したんだとか、自身が勝手に活動に行き詰まって退転した事を、彼(女)がこう言ったああ言った等々…。
全て「他人のせい」にしているだけの、その程度の低次元な批判でしかありません。
ブログの彼はその彼等に対して、「信心は依法不依人だよ!!」と有無を言わさずに断じ切っています。
社会生活でも同様ですが、他人のせいにしてブツブツ文句ばかり騒いでも結局何も解決はしないと言う事に、そろそろ学会(退転)批判者達は気付くべきだと思いますが…。
「煩悩とは、心身をわずらわせて悩ませる働きの事で、これは仏道修行の妨げとなります。(しかし、他の宗教で行われている)煩悩を断じる(と言う修行の)必要はなく、むしろ煩悩を抱えたまま〝己心の仏界〟を開き顕わす事で、仏の生命境涯をその身に顕わす事が出来るのです。
煩悩があるからこそ菩提(仏の境地)を開く事ができるので、(これを)煩悩即菩提と言います」
他の仏教宗派は、全ての煩悩をなくしてそして綺麗な心になって生きる、それが「仏に成る」ことだと言うよく理解出来ない教学を今だに後生大事に主張しています。
人間、煩悩(「本能」と言い換えると)を完全に切り離すことが、果たして本当に可能なのでしょうか?
人間と煩悩(本能)は、お互い切っても切れないものなはずです。二つは表裏一体の存在だと言っても間違いはありません。
「なので、煩悩はあって構いません。
煩悩に支配されたら問題ですが、煩悩を支配し、包み返す境涯が仏です」
マイナス思考の自身の煩悩(本能)を逆にプラスに発想転換して、それを自分の生活に利用することが出来れば以前よりずっと面白い、そして社会全体としても価値のある生き方が出来るのでは…、と言うブログの彼の提案です。
当にそのプラス思考が創価学会の一般的には表面化されない、そんな行動指針になります。
そこの大事な一点が、学会批判者達にはさっぱりと見えてこない様なのです…。
「家や車、家電やスマートフォンといった私達の生活を支える環境の全てに、妙法蓮華経は流れています。
そして車や家電などにも仏の働きがあり、私達の暮らしや生命を支える使命があるのです。
南無妙法蓮華経は、有情であれ非情であれ、共に成仏が可能なのです。
ここでいう成仏とは死んであの世に行く事ではなく、仏の働きの事であり、宇宙が持つ極善の働きの事です。(諸天善神の働きと取る事もできます)
家電にしろ車にしろ、あなたの信心によっては善の働きとなり、長持ちしたり守ってくれたりするのです」
この話は、ちょっと変わっていて、私は個人的には気に入っています。
こう言う思考法をしているブログ主さんは、凄い!
日蓮仏法的には確かにそうだと言えます。
非情の成仏は御本尊が当にそうですので、家電製品が題目を受けて「成仏」しそして長持ちするという理論も、これも否定しようのない話になってきます…。
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「数ある仏典の中で、女性の成仏が明確に示されているのは法華経(妙法蓮華経)だけです。
また、悪人の成仏や二乗の成仏も法華経で初めて示されました。
つまり、法華経だけが万人の成仏を説いています。
これは見方を変えると、法華経以外を依経としている宗教は、全て女性蔑視の宗教と言えます。
また同時に、悪人や二乗は成仏できない差別思想の宗教でもあります。
男尊女卑が理不尽だと思うのであれば、万人尊敬の法を広めている創価学会こそが正義の団体だと私は主張します。
そしてこの万人尊敬、生命尊厳の法が世界中に広まれば、戦争など起こりようがないのです。
この世界平和を目指す戦いが、広宣流布です」
少々長い文章ですが、非常に面白い仏教理論ですので略さずに掲載します。
ブログの彼の話す通り法華経の理論・哲学は、悪人だろうと女性だろうとも信じる気持ちさえその人にあればかならず幸せになれるものを確かに持っています。
その理屈を演繹してみると、当に彼の話す通り、世界平和に至る哲学は日蓮仏法以外には「ない!」と断言できます。
「学会教学」と聞くと正直余り近寄りたくない気持ちにもなりますけども、でもこのブログ記事って以外に「面白い」ものになっています。
一度何となくでも目を通してみると、何か発見できそうです…(‘-‘*)
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