ゾンビ化する創価学会…4、宗教とは何か(ブログアドレス不明)
少々長い文章で、しかも論文形式になっています。宗教に興味のない人にとってはかなり辛いものになるかも知れませんが、でも非常に示唆に富む、またとても知的な宗教教学記事でした。(原罪ブログは行方不明)
当ブログ記事内容を元に、彼に対しての私の反論を記してみたいと考えます…。
〇 〇 〇
「いま(2012年度)ヨーロッパでは失業率がひどい。とくに若者の失業率は深刻である。
そのような人たちに創価学会の言う「人間革命」などの言葉を、キリスト教が日常生活に根付いている人々にどのように説くことができるだろうか」
「イス取りゲームでは必ず一定数が座れないように、そもそもパイの数が減っている状況では現実的に雇用口を増やさなければ問題は解決しない。
雇用拡大には国の経済成長や経済政策が必要不可欠である。そこにはきわめて現実的な問題が横たわっていて、けっして精神論でどうにかなるものではないだろう。(宗教問題を経済問題として考える)」(段落替え有り。以下同様)
切羽詰まった人々の生活状況の中、創価学会の話す「人間革命」などと言う愚にも付かない悠長な宗教教義を、どこの誰が真剣に考えることが出来るのだろうか…、と言うブログ主の主張です。
「また、アフリカの餓死直前の子供たちを目の前にして、「題目すればすべてが叶う」などと真顔で(本気で)言えるだろうか」
「さらにいえば、シリアやイラクなどの宗教紛争で情勢が泥沼化した社会のなかで、「世界平和」を正義感たっぷりで口にすることに、どれほどの空虚さが伴うかは想像に難しくないはずだ。
日本に引き戻していえば、東日本大震災の津波により被災し、家族を亡くした人を目の前にして、はたしてどのような顔で「成功」や「勝利」を語りうるのだろうか」
更には、切羽詰まった状況時に「題目だ」「成功・勝利だ」の馬鹿話を、一体全体どこのどなたが真顔で聞いていられるのやら、とも。
確かに、あなたの仰る通り…かも。
「そのような状況下では宗教が必要になる。しかし、それは創価学会が教える宗教を意味しない」
返す刀で、当学会を真っ二つにします……。
「キリスト教(信者約20億人とも)やイスラム教(推定11億人とも)がなぜあんなに巨大なのか。(略。そして)そんなときに希求する<信仰>とはいったい何であろうか。
…突き詰めれば、救い<救済>でしかないだろう」
救い(救済)とは、キリスト教お得意の「赦(ゆる)し」の事です。
彼の話すこの事は、全くの真実だと言えそうに思えます。
「この点において、キリスト教の根底の理念(救済概念)は(絶対的に)正しいのだ(と私は思う)。
時代と共に変化しつつも、根本的な思想(旧約聖書、新約聖書)は一貫しており、時代が変化しても普遍である<救済>の理念をしっかりと掲げる宗教を世界中で20億人余りが信仰しているというのも頷ける」
西洋版のTV番組や映画でよく出てくる「あなたを私は許します」のアレです。
この「わたし」とは、突き詰めて話すと要するに「イエスキリスト」の事です。
つまりどんなに悪事を働いた人間でも、たったこの一言で全てが消え去ってスッキリする、と言う事。
とても素敵、且つ魅力的な宗教だと言えます、キリスト教とは…♡
「言うまでもなく、創価学会に救いの思想はない(戦後間もないころには少なからずそのような役割は果たしてきたのかもしれないが、残念ながら理念の核となる部分にそのような言葉は掲げていない)」
創価学会と言う極悪の宗教団体は、残念ながらそんな魅力も宗教的な力も一欠片も無いのだと、彼はそう続けるのです。
学会が話す戯言(たわごと)は、「人間(境涯)革命」や「社会での勝利」だののお伽噺(おとぎばなし)のみ…。
宗教とは、もっともっと人間に対して優しくあるべきなのだ…と、ブログ主の絶なる主張です。
全くごもっともの主張の様にも感じます。
彼の宗教に対する考え方は、多分日本人一般、更に言えば世界的に考えても「正当」な評価の様にも思えます…が。
ここで一つの例え話をします。
「例え話」とは言え結構現実性を帯びていますので、そんなに荒唐無稽な「お話」でもありません
「借金」のことを話します。
ある人(A氏)がかなりの借金をしています。
期限までに支払いをしないとかなり困ったことになります。
こう言う経験者も意外に世の中には多いのでは…?
でここに、イエスさんと言う人が登場します。彼はA氏に対して、こんな提案をします。
「全ての借財を私が完済してあげます。その代わり私の弟子になってみませんか?」と。
当然のことA氏は、喜び勇んでイエスさんの申し出を一も二もなく受け取ります。
で、目出度くA氏はイエスさんのお弟子さんとなりました。
…とても素敵な微笑ましい「物語」です。羨ましい限りのA氏の境涯。これが天国と言わずしてなんと言おうか…?!
さて、ここにもう一つの出来事があります。
これはB氏という人の物語。
B氏も借金漬けの毎日で、首を括(くく)るのは今日か明日か…の窮乏状態。
そんな人の前に蓮(れん)さんと言う人が現れます。蓮さんはB氏にこんな提案をします。
「仕事をしっかり、そして地味に毎日やり遂げること。
生活はギリギリでもいいので借金を確実に返済して行くべきです。
確かにこの数十年は大変だと思います。でも、それでも歯を食い縛りながら借金返済に努力すべきです。
でも、完済したその時は最高の気分になれるはずです」…と。
蓮さんって、何だか冷たい人ですね……。血も涙もない、そんな人間に思えます。
そんな「普通の提案」をするのなら、少々の補助でも出してくれてもいいんだけど…。
さて、ここまで話して、分かる人は完全に理解出来るはずですが、宗教知識も世間的常識も何もない人に対しての、若干の話の補足をしてみます。
イエスさんが助けたA氏はその後どうなるかと言うと、「社会常識的」にハッキリ言えることは、又更に借金漬けになってしまう、これは間違いありません。あぶく銭(イエスさんのくれたお金)身に付かずの理(ことわり)の通り、A氏は借財に関しての何の反省も努力もしていない訳ですから。
当然再度再度、全く同じ事(借金地獄)を繰り返す人生です。その都度イエスさんからの補填金を受け取ります、で更に更に泥沼化。
蓮さんの提案を真面目に実践したB氏の、その後の生活はどうなったのか。
借金に対しての二度としないとの反省をした生活が基本となって、もう決してそんな自堕落な生活には手を出さない「常識感」を確実に身につけるのです。
イエスさん(キリスト教)の宗教は「赦し」だと上述しました。
赦しとは要するに、本当の「問題点」を全く見ないまま生活を続ける、と言う事なのです。
誰(それが牧師だろうとイエスだろうと、また道をたまたま歩いている普通の人間だろうとも)に赦しを受けようと何をされようとも、自分の問題を反省もせずに全てをチャラにした生活を毎回続けるという、そんな自堕落な教えにどんな意味があるのでしょうか、考えて見るべきです。
でもまあ、自身の生活の問題点を一切見ないで済むなんて、こんな天国な生き方は他にはありませんがね。
「<救済>の理念をしっかりと掲げる宗教を世界中で20億人余りが信仰しているというのも頷ける」
キリスト教がローマ帝国に蔓延したのは紀元2~3世紀頃からのこと。
それ以後のクリスチャン達は、本気の本気の問題を何も見ず、一時の「赦し」だけを希望を胸に、最終的にはこの千七百年間辛い人生の日々を送ってきました。
何とか行動したのは、国土回復戦争(十字軍遠征)や魔女狩り等で、他人に問題点を擦り付けたそんな無意味な行為ばかり。
誰もその生き方に対しての異議申し立てはありませんでした。
…寂しい話ではあります。
日蓮仏法の根源の在り方は、ブログの彼の言う通り「人間(境涯)革命」です。
境涯を変化させると言う事は、要するに今の自分の自堕落さを「変えていく」闘いをする、と言う事なのです。
これは彼が単純に言い切る「精神論」や「心の問題」というそんな「ヤワな話」ではありません。
毎日が本気の闘いの、そんな真剣勝負の問題なのです。
借金返済の話を再度思い出してください。
数千万の借金を返済するのにどれだけの命がけの闘いが必要か。どれほどの血と涙を流さないと駄目なのか。
学会批判者は、学会員のその闘いの途中「だけ」を取り上げて、こう話すのです。創価学会に入ると「不幸」になる、と…。
でも、キリスト教の教えの「赦し」と創価学会の「境涯革命」と、さてどっちが数十年先の「絶対的な幸福」の根源となるのでしょう…?
これは至極常識的な問題なのですよ。
〇 〇 〇
「創価学会では「勝利・成功」を謳いながら他方で「敗者・失敗者」は信心が足らないと切り捨てる。これも資本主義でよく言われる「自己責任」と同等の責任逃れの意味しか持たないだろう」
彼は学会信心での失敗者を「資本主義的自己責任論」だと揶揄(やゆ)しています。
でも本当にそうなんでしょうか?
ハッキリ言っておきますが、創価学会からの退転者はどう言い訳しようとも「借金返済の努力を完全放棄」した戦線離脱者、途中放棄者です!!
この事は全くの事実だし、彼等は今はキリスト教的「赦し」を(誰からかは兎も角)受けまくってはいますが、数十年先にはその借金の「付け」を必ず払わなければならない羽目に陥ります。これは絶対に間違いのない「真実」のことなのです。
「結論としてまとめると、<信仰>の本質は、自らの欲望を物質化することで見返り(成功・勝利)を得る(ゲゼルシャフト“利益社会”)と説くことではなく、物質化、数値化できない<救済>の役割こそが本質であろう。
むろん、救いなどは目に見えない。なぜなら、その人個人の境遇からくる(身体を伴った)精神上の救いだからである」
彼は「救い」を絶対視します。
「精神的な救い」こそ本当の宗教の「目的」なんだと、何故か胸を張って言い切っています。
その救いのお陰でカトリック、プロテスタント、更にはイスラムを信奉している国家がどう言う状態になっているか、「キリスト教的な彼」は、その事実・真実一切を見て見ぬ振りをするのです。
学会批判者の皆さん。「本当の宗教」とは一体どう言うものか、ここでもう一度本気になって考えてみませんか…?
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