我の命令を聴け!褒美を与えてやるぞ♪

「「もし、あなたがたがわたしの掟に従って歩み、わたしの命令を守り、それらを行うなら、わたしは時にかなってあなたがたに雨を与える。それにより地は産物を出し、畑の木々はその実を結ぶ。」(レビ記26:3-4)」

 わたし(神=イエス)の言葉に従うならば、あなた方に祝福を与えてやる。
と、居るのか居ないのかよく判らない「神さん」が、こう仰っています。
とても有り難い「お話」なのか、でなければ「大きなお世話」なのか…。
そんな「お言葉」を投げつけてくるブログがこれ。

 みつばさのかげ…「わたしの命令を守り、それらを行うなら」

〇   〇   〇

ブログ主さんは更にこう締め付けます。

主の掟に従って歩むなら、地は産物を出し、満ち足りるまでパンを食べ、安らかに住む。
そこには平和があり、敵を追い散らし、子孫は増える。
主も、ともにいてくださる

多分これは「現世」での「お話」なんでしょう。

キリスト教を後生大事に遵守している国は世界中に存在しています。
アメリカもそうですし(プロテスタント教ですが、まあカトリックと同じ「」ですね)、又今問題になっているロシアの国もそうです。
米露共に「同じ神さん」をお祭りしながら、何故こんなに違う政治体制になっているのか、かなり不思議な感覚に陥ります。
片や犯罪大国(プロテスタント系)、片や独裁体制でしかも侵略政権(ロシア正教)と来ています…。

やはり何かが違うような気もします……?

 「「しかし、もし、あなたがたがわたしに聞き従わず、これらすべての命令を行わないなら・・・わたしもあなたがたに次のことを行う。」(14・16)」
もう一つは、真反対の道だ。
病がはびこり、地の産物は敵のものになり、敵に打ち負かされ、獣に襲われ、家畜は絶え、パンはなくなり、聖所は荒れ果てる。民は国々に散らされ、町は廃墟となり、平安はどこにもなくなる
イスラエルの民は、この悪いほうの道を歩み、そのとおりになってしまった

と、ブログ主。
イスラエルは兎も角として、上に挙げた米露2国の神さんに対する民衆の対応は、さて両国の在り方の「結果」として判断すると、二つともどうも神さんに逆らい続けているようなそんな気になってきます。
気のせいなんでしょうか?

「わたしが律法や預言者を廃棄するために来た、と思ってはなりません。廃棄するためではなく成就するために来たのです。(略)それ(律法遵守)を行い、また行うように教える者は天の御国で偉大な者と呼ばれます。」(マタイ5:17-19)」

 キリスト教で話す「律法」とは、非常に簡潔に話すと「神への絶対的な恭順」の事です。
この「絶対」と言う事は文字通りの絶対であって、寸分も自分の意志を持つべきではない、と言う意味が含まれています。
これがキリスト教の教えの根源なのです。

こんな無理無体な話は、少なくとも「普通の人間」にとっては「意味不明」でしかありません。
故にキリスト教徒2千年の歴史では、クリスチャンの生活は「面従腹背」「普通」の事でした。
キリスト教徒は裏表が激しいと言う話を聞くことがありますが、まさに「それ」。

〇   〇   〇

「「わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13:34)」

最後にブログ主さんが、こんな素敵な神さんからの「お言葉」を無理難題に押しつけてきます…。

日蓮仏法の「十界論(十界互具論)」では、人間とは何百何千の性質を持った生き物で、お互いを好きになる時もあれば、気に入らない場合も存在することが「極普通」の事なんだと説きます。
しかし、嫌いな人間の中にも「仏界」という尊極の生命を見いだして、そして相手の(数少ないかも知れない)長所を発見すべきなのだ、とも話されています。

桜梅桃李」の世界観がこの現実世界を表しているのか、でなければキリスト教徒の「二者択一」(神かサタンか)が本当の現実なのか、ここはじっくり考えて見るべき時期に来ているような気がします。


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Author: 乾河原

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