神と仏界

クリスチャンは、カトリック、プロテスタント問わず「表面」に拘(こだわ)ります。
この性格は、ほぼ2千年間もの歴史を持っていますからなかなか修正は効かない様です。
そんなお話の一つ。

人生相談~聖書、イエス様を信じる立場から…「「天は見ている、人も見ている」という感覚

〇   〇   〇

…ブログの彼は綴ります。

ある人・Aさんから聞いた話です。
(略・その人は)(ウソ)が癖(くせ)になっている人の話です。
(その人・Bさんは)「人に見られている」時は、仕事をするのですが、「人から見られていない」時には、平気でサボるのです。
Aさんは(そのBさんに)言いました。
「人は見ていないようでも見ていますから、Bさん(あなた)は、人から見られてられていますよ」
しかしBさんは、キョトンとした顔をしたそうです。Bさんは「自分のごまかしを隠せている」と思い込んでいたようです

こんな人間の泥臭い話から始まる、ブログの記事。
キリスト教徒の気になったお話の、一幕です。

裏表のある人ってどんな社会や職場にも存在しています。
と言うか、ご都合主義の人間の存在は仏法上からも普通のことです。
取り立ててこんな話をブログに持ってくることも、クリスチャンの感覚って何だかな…と言う気持ちにもさせられます。

ブログ名が「人生相談…」です。
この程度の「問題」を持ち込まれて真面目に応えているその感覚も、かなり古くさくて、そして平べったくも感じるのです。

裏表のあるこの手の人間を擁護するつもりは、一切ありません。
そう言う性格の人間は、いつか何処かでドツボに落ち込むことは間違いないことでしょうが、今更大袈裟に取り上げてみてもね…。

クリスチャンであるAさんは、思わず言ったそうです。
「神様は、見ていますよ。そういう気持ちで仕事をしていかないと、トンデモないことになりますよ」
その言葉にも、キョトンとした反応だったそうです

神が見ているから」裏表なくしっかり働きなさい、とキリストさんを信じる人の言。
では、神のことなどどうでもいい人間に対しての忠告は…?と議論してみたいとも考えますが、彼等は間違いなくその「答え」は持っていないはず。

彼等クリスチャン達の関心事は「」と「他人の目」だけです。
自分自身の目」というものには一切の関心を持っていないのです。

我々の存在しているこの宇宙は、138億年程の昔から膨張を続けて、半径はインフレーション期を含めて約500億光年程だと言われていますから、かなり大きいですよね。
ウチの夫婦がいつも行く温泉の場所よりも、多分もうチョイと遠いはずです…。

まあ兎も角、その空間の中にはほぼ無限大の物質と、そしてこれはクリスチャン達には驚愕の「事実」でしょうけども、無限大の生命体が存在します。
神はそれら全ての「面倒」をみているのです。(カトリック主教談)
忙しくない訳はありません。
でないと、宇宙の崩壊が始まります…(‘-‘*)

そんな「超絶お忙しい神」が、どうしてたかが人類一人二人の事を眺めていられるのでしょう…?
そうしてほしいと言う「個人的願望」だけで神さんの手を患わせるのって、傲慢至極だと感じますが、どうでしょう。

神さんの手を患わせるようなそんな面倒なことをするのであれば、それなら「近隣住民の目」だけを気にする方が余程人間的です。
で、現実的な話、キリストさんがゾンビ化したその瞬間からクリスチャン達は「他人の目だけ」を気にするそんな生活に入った訳です。

神の目を気にする」という言葉を吐くのは、公共の場でのみ。
ま、日本的に話すと「ハレとケ」になります。
ハレ(公式)の時は盛大に神の話をぶち上げますが、でもケ(日常)の生活では常に他人の目だけを気にするそんな毎日です。

そんなこんなを2千年続けていて、マトモな人間の生まれる訳はありません。
神から押しつけられた「規律・律法」を普通に出来る人間などほぼ皆無。
故に裏表でものを考えたり、そして生活をするそんな立派な人間が誕生する訳です。

さて翻って仏法(学会信仰)の話をしますと、日蓮仏法では全ての人間の命の中に「仏界」の存在を想定しています。
仏界とは意訳すると「自身の中に存在している神」と言えます。
何処かで忙しく働いている神は騙(だま)せたとしても、「自分自身」を誤魔化すことは出来ません。

そしてこの仏界は赤の他人の中にも存在しています。
自分自身の、そして全世界の仏界が自分を見ていると言う現実の中で、どこの誰が裏表のある人間として生活できるのでしょうか…?
あ、学会退転者さん達はそんな生活か…失礼。

「人の目だけ」を気にしている人は、人の目が無くなると、自制心が暴走します。
しかし、「神様が見ている、天が見ている」という感覚を持っている人は、人が見ていてもいなくても、自分が正しいと思うこと、コツコツとするのです。
人が見ていないところで、コツコツとしている人は、信用されます

人の目だけを気にする人間からの有り難い「お言葉」になります。
恐ろしい程矛盾に満ちた、そんな「科白」です…。

ブログの彼の話す通りの輝きに満ちた神の言葉を信じるそんな全世界であれば、何故世界はこれだけ激しい緊張の中に居るのでしょうか?
預言者や、名称は違えども「同じ神」を抱えながら、どうしてカトリックやプロテスタント、更にはイスラム、ユダヤの争いが今現在も存在し続けているのか、非常に不思議に思えます。

その答えは、一神教の中には存在していません。
全く何も…です。

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ただし「神様は、人間の罪を赦してくださる」ことを受け取っていることが大切です。
「赦し」を知らないで、すべて見られていると思うと、いたたまれなくなります。
「人は罪を犯す。それを赦すのが神である」(西洋の諺)

赦し」は神の専売特許です。
どんなに罪が深かろうとも、どんな極悪人であろうとも「神が許してくれる」だけで全てがチャラになります。
言葉を変えて話すと、何億円の借金持ちだろうとも全て神が「肩代わり」してくれる、と言うのです。
当人はケロッとして又同じ事を繰り返します……。

しかし、その後の彼(女)の人生がどうなっていくのかは…想像して下さい、な。


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Author: 乾河原

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