…「ネット学会員の虚像と実像ーⅢ」より続き
「(MonLinGenは)学会活動に全てを犠牲にして取り組み、その為心身共に限界を来して脱落していった元会員たちを「創価学会についていけなかった落ちこぼれ」などと見下しているのである。
そこには元学会員・元活動家がどれほど自分と家族を犠牲にしてきたかという事に考えを及ぼす事もなく、創価を批判している事にただひたすら怒りと見下しの思いしか湧かないのであろう」
彼は学会退転者、特に学会本部や池田先生に虐(いじ)められて、更に惨めな生活に落ち込んでいったと(批判者達の信じる)元学会員達を、こう弁護します。
しかしこれは、学会退転者ほぼ全てに共通する無知識故の自己弁護です。
しっかりと学会信仰の「本義」を考察してみて下さい。
前回説明した9項目の信心の流れと信仰の本分・在り方を、芝氏や学会退転者達の言い分と付き合わせて考えて見れば(且つ、若しあなたが普通の常識の持ち主であるなら)、間違いがどちらにあるかは一目瞭然のはずです。
蛇足になりますが、更に敢えて例え話として、日本武道の「杖術」の神道夢想流杖道の話を出してみます。(イラストでも空手等の練習でも何でも良いのですが)
初心者の人が道場に行き、先生からこんな話を聞いたとします。
- 若し昇段試験に受かりたかったら、これこれこう言う練習をすべきだ
- 毎日この技をこれだけの回数練習しなさい
- そして道場には毎回参加して練習しなさい
その初心者さん、初めは先生の言う通りの練習をやっていましたが、しかし途中で辛くなり嫌になって自己練習も、又道場での練習にも来なくなった。
で、結果昇段試験では目出度く、落第。
その後、彼はその事を根に持って、先生や他の道場生、更には杖道そのものにまでケチを付ける始末。
…さて、悪いのは誰なんでしょう…?
芝氏や学会批判者達は、道場の先生や杖術が悪いのだと主張しています。しかし、普通の常識を持っている人間は、その初心者自身に責任があるのだと考えるはず。
芝氏は常識ある人間なのでしょうか?
私はとてもそんな思考方法にはついて行けませんし、常識を持った人にもそんな訳の判らない考え方は通用しないと考えますが…、さて、あなたはどちら派??
因みに「三障四魔」は信心行でなくてもどんなものにでもつきまといます。
趣味の世界にもこの三障四魔は存在しています。
どんなに絵を描くのが好きでも、描き始めはいつも嫌で嫌で仕方がない…。そんな人も多いのです。これがずばり三障四魔とは言うつもりはありませんが、しかし行動への「抵抗」という意味では、確かに似ているものはあります。
「所詮、創価学会が「慈悲」だの「寛容の精神」だの綺麗事を言っていても(略)」
創価学会の信心は人間の「命」そのものの転換を図ります。
芝氏が話す「慈悲」とは、キリスト教の「慈悲」の事を意味しているのでしょうけど、彼等の宗教の優しさは皮相の優しさ、つまり表面上だけの優しさでしかありません。
命の傾向性の変換を目的とした「慈悲」は、一見非常に無慈悲に見える事も確かです。要するに、キリスト者がよく行う食事の配布や、赦(ゆる)し等から較べて、学会の行動はかなり異様な感じに映る事も確かです。
しかしよく考えてみて下さい。自身(他人)の宿業を転換する事のどれ程の難儀な事かを…。
「さて、このブログ主(略)、アンチブログへの批判記事を書いたりケチを付けたり(略・要約)、更に、趣味のイラストを描いてはブログに投稿し、小説を書いてはブログに投稿するという、活動家としてはヒマな生活をしており、学会活動は実践していない殆ど非活の身である」
「(当ブログ主)よほどの大幹部か、相当のバリ活かと思っていたら、(略)ブログ記事を頻繁に更新し、趣味のイラストや(略)小説まで書いて(略)いるほどだから、それなら(略)確かに活動家ではないようなのだ」
(※当文章は、順番的には初めの方にある文言なのですが、個人的には重要な内容が含まれているので、一番最後のここで論難を受ける事にしました)
これは芝氏の一番言いたかったMonLinGen評なんだろうと想像します。
要するに、多趣味でミカツの癖に、学会批判者様達を愚弄するなんぞ100年早いワイ!と言う事…。
しかし、私は自分の事を学会におけるミカツや非活だとは一度も話した事はありません。
学会員ではあるものの、折伏や新聞啓蒙などの活動は今ひとつのそんな学会員だと話していたのですが、芝氏はその話を非活にまで落として下さいました。
有り難い事なんでしょうか、それとも鼻で笑って無視すべきなのでしょうか…?
芝氏は、これだけの趣味を持っていて、しかも学会批判者批判ブログまで運営している人間は、決して活動家ではなく、ミカツ・非活の部類の人間なんだと決めつけています。
しかし、と私は彼に返答します。
趣味を持っている人間が学会の活動が出来ないと言う事は全くありませんし、逆に趣味を持っていない人間が活動家だとも言えないと思いますが…。
私の学会活動、及び趣味等をここに記します。
こんな人間でも、真っ当とまでは言いませんが、普通に学会活動は出来ているのだという「証拠」をここに出しておきたいと考えるのです。
個々の趣味の説明は、わざとその道の人にしか理解出来ないように言葉を専門化しています。その手の人には間違いなく理解出来る、と言う感じです…。
信心活動
…勤行、題目は当然毎日行っています。特に題目は一日1時間弱は欠かしていません。で、一ヶ月平均20数時間~30時間内外になります。これから計算して、100万遍達成がどれだけの間隔でなされているかが理解出来るはずです。
コロナ禍以前は、学会員として当然の事としての月一の座談会、本幹参加等は欠かしませんでしたが、現在の状況はそれを許さないものでして、今はネット上で参加しています。前月の地区部長会は、かなり聞き辛いものでしたけど…。
問題は折伏、新聞啓蒙、更には選挙活動についてですけど、これらに関してはそもそも論として自分自身興味がないものでして、多分将来も余り乗り気の活動ではないはずだと考えます。
しかし、折伏は何とかやり遂げたいとは勤行時に毎回御祈念しています。
仕事・家庭
…娘は嫁に行きました。同じ札幌市内ですので、週に一二度ほど妻と一緒に孫と遊んでいます(‘-‘*)
コロナ前は月一で一泊旅行に行ってましたが、なんせこのご時世何処にも行けなくなりました。ワクチンが行き渡ったらまた旅先で美味いものを食べようと期待しています。
仕事は、基本ボイラー技士。夜勤や明け番があるので通常の毎日勤務よりは時間が取れるようです。仕事場では他の人よりも自由時間がとれますので、それを利用して密かな題目と読書に耽(ふけ)っています。
趣味
…イラスト作成。
若い時は漫画を描いていました。漫画研究会の会長やHCN(北海道限定コミケ組織。知っている人は居ないでしょうね…)の会長もやっていましたが、今はイラスト一本に絞っています。妻はアナログ派ですが、私はアナログのあのインクの汚れ具合は二度とゴメンなので、今は全面的にCGとして作成しています。使用しているのはwacomの17インチ液タブ。ちょっと前までは板タブ(bamboo)を使用していました。
ソフトはCLIP STUDIO PAINT(通称クリスタ。無料配布バージョン)。クリスタ+TABMATEで快適そのものです。
前はPainterでした。でもこれって重くて若干使い辛い物でして、今はクリスタ一筋。製品版はそのうちにほしいなと思っています。
作った作品はpixivサイトに投稿しています。ブクマもしおりも、そしてフォローもなかなか増えてくれません。まあ、周りは上手い絵師さんばかりなので、仕方のない話です…。小説は今は投稿していません。何となく案が浮かばなくて…。グループは未参加です。のんびり期間を気にせずに描きたくて。
若い時は空手と大東流合気道(合気会とは別流です)を中心に、小野派一刀流、神道夢想流杖道、中国拳法などの道場に通い詰めていましたが、今は完全に縮小して、健康維持中心程度の軽い練習しかしていません。剣や杖を数百本程度、空手の適当にその場で作った技も数百回ほど練習しています。
図書館の書籍を中心に読書にいそしんでいます。読むのが遅い所為か、いつもいつも貸し出し期限超過のメールやはがきを受け取っています。
日本史を中心にして古今東西の歴史が好きで、今はローマ帝国の興亡史を読んでいます。元々SFが大好物でしたので、科学的な事象にも興味を持っています。
ネットゲームは、今はSTEAMのFrostPunkを地味にやっています。これって、面白いのですが、なんせ気持ちが暗くなるゲーム内容です。街の建設や再建に失敗して、いつもおっぽり出されています。最善は尽くしているのですけどね…。
今、或るMMO RPGのOBTの開始を待っています。もうすぐ(希望は8月)だと期待していますが、このコロナ禍ですからなかなか難しい感じです。でもそれが始まると、もうちょいと忙しくなる感じではあります。
DVD鑑賞も好きです。パソコンの中に数百本ほど入れた映画や、ネトフリの新しい映画などを観たりしています。アニメも勿論好きですが、何となく観るのはSF系が多いですね。マーベル系は全て持っています。
当然ブログの作成も好きです。文章を書く事が好きな訳で、MonLinGenでは自分の信仰の在り方を自分の文章で表現する事そのものが、自身にとっては重要なものになっています。その故、今の学会知識を与えてくれた最大の貢献者(善知識)は、学会批判者達だと言えます。
そんな感じで、これからも指が動く限り記事を作っていきたいですね。
…以上
上の話を具体的に簡単に記してみると、
夜勤前と明け番、そして公休日を利用してイラストを描いたり、記事を書いたりしています。絵やブログに飽きると剣を振ったり空手の真似事をしたりします。
題目は朝晩の勤行時やちょっと空いた時間を見つけてあげています。
本当に何もしたくなくなった時は、映画を見たりネットゲームをしたりします。
基本読書は仕事の空いた時間を利用しています。
…これらは特に無理なく、と言うか結構楽しみながらやり続けているMonLinGenの日常の生活形態です。題目をあげ続けていると、多分自然に出来るものだろうと想像していることです。
つまり、自分にとっての「題目行(信心活動)は生活全ての「接着剤兼潤滑剤」なんだと言えるのではないかと考えているのです。
〇 〇 〇
題目など一度もあげた事もない芝氏にとっては、趣味を持っている人間は非活にしかなれないと話しますが、彼の無意味な主張は上の説明で完全に否定された事になります。
さて、論理思考を自慢しているお花畑の芝氏、彼は私が縷々提出したこれらの数々の事実に、さて一体どんな無意味なイチャモンを付けてくるのでしょうか…。
楽しみに待っていますね (‘-‘*)
…「ネット学会員の虚像と実像」終了
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