「政教分離原則」のお話し

非常に単純な話ですが、日本の憲法での「政教分離の原則」の意味は簡単に記すと以下の通りと考えます。

政府やその関係機関はAと言う宗教団体だけを贔屓にしては駄目。でも、信者やA教団の人達が政治に関わる事は、特に問題なし

以上この文章のどこが難しいのでしょうか?
とてもに単純で克つ明快な文章。これは小学4年ぐらいの子供に説明しても、色々な例え話をしないと駄目でしょうが、多分30分ぐらいで理解出来る内容だと思います。
学会批判者の人々は頭脳明晰な方が多いと思われるので、これらの内容は理解出来るはずです。
その頭の中に皆と同じ脳細胞が入っていれば…ですが。

〇   〇   〇

非常に簡単なこのQ&Aに対して、何故か未だにネット上でこれに関する文章が飛び交っています。よく読むとほぼ全てアンチ学会関係のお歴々のそれ。
代表的には下の文章ではないかと思います。

日本は政教分離ではないのですか?
特定の宗教関係が政党を作ったり、政治活動をしています。
どうして、認められるのでしょうか?

~ないでしょうか?」と言う問いに全てが含まれています。
誘導尋問如きの高度なものではありませんが、「俺(あたし)は学会は政教一致だと思うんだけどね…ネットの皆に、自分の意見を聞いてみよ。皆学会が法律に反していると言って欲しい。だから質問するんだけどね…」という感じ。

論理的、常識的、また世論的に学会(公明党)が法的には全く正規の活動をしている事が認められている事に,彼らアンチ連は兎に角憤懣やるかたない思いなのでしょう。どのような屁理屈を捏ねてても全くもって太刀打ちも出来きず、返り討ちばかりの日々なので、裏側から手を出そうとしている、そんな卑怯者に感じてしまうのは穿(うが)った見方?

また、以下はしっかりした話が出来ない人間の言葉遊びの代表例です。

…法律に違反していない様に見えても、暴対法で、暴力団が一般企業や宗教法人へと偽装するようになったのと同じで、手口が巧妙化しているのです。要は、法に触れなければいい、政教分離せず、教祖が裏で実権を握っても構わない、という恐ろしい社会です。
日本は、既に、最大の宗教党である、公明党(新興宗教、創価学会)に、衆議院で与党としてキャスティングボートを握られています。議席の1割にも達していませんが、与党として政治で大きな権力を握っています。
日本は、既に、創価学会の教祖の意向一つで動いて来たのです…

何の知識もなく、記事の裏を取る事もなく、唯只管個人的な感情の赴くままの文章を書き連ねています。手口が巧妙とか、教祖がどうのこうの、暴力団がどうしたこうした云々…。
勉強するべきだと思います。カエルだって生きているし、馬だって一生懸命に走っている。学習障害の人だって、本当に前向きに生きています。

創価学会批判」そのものは別に問題ではありませんが、自分をまず知りるべきです。
そして攻撃相手(創価学会)の事はもっと知りましょう。
少なくとも知識に関しては、相手のレベル以上でないと何の話も出来ません。
確かに勉強って大変です。
物事を知る事と言う事は、自分が気に入らない事柄も(納得しなくても)知ると言う事も大変なんですけど…ね。

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ネット上の情報収集で得たものは非常に偏ったものです、知ってました?
何故か?

ネットでの情報は、「自分に興味があるものにしか目が行かない」からです。そんな井の中の蛙的な情報にどんな価値があるのか、考えてみましょう。
本当の知識の収集という意味は、一度でもいいから何百ページもある紙印刷の本を読んでみれば、死ぬ程解ります。
そう言う知識、常識、文章力のある人のアンチ側の反論文を、一度読んでみたい気がします。

さて、そんな凄い人間、誰かいないものなんでしょうか…?


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Author: 乾河原

1 thought on “「政教分離原則」のお話し

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