「疑問の解決方法」のお話

知識の習得や技術の習得等、様々な練習にしても、何かをやろうとする、またやり続けている時には途中で、必ず何かしらの疑問は出てくるものです。
何の疑問も持たずに一直線にやり切る人も中には居るでしょうが、そんな人間はやはり少ないと言えます。

〇   〇   〇

杖術の道場に通っています。一般的に見ても結構長い年数だと思います。
しかし、未だに壁(疑問)だらけです。理解したと思ったその瞬間に更に次の壁が立ち塞がる…その繰り返し。でも、やり続けるしか道はありません。
先生に質問をした事があります。大要こんな答えが返ってきました。

疑問はまず、自分の練習の中で解決しなさい

とても短い言葉でしたが、でも、非常に奥の深い意味が含まれています…。

答えを拒否された訳ではありません。安易に聞く前に、まず自分自身で解決する努力をしなさい、という事です。
また、疑問は持つなとも先生は言っていません。疑問を持たない人間は少なくとも杖術の世界では上達しません。要は、その疑問の答えを簡単に「人任せ」にするな、という事なのです。
…至極もっともな話だった。今はただひたすら練習の毎日である。

絵の話をします。こちらのほうが簡単な説明になるかもしれません。
上達の近道は?
唯ひたすら練習。結局ただこれだけの様です。

考える事は大事ですが、しかし描きながら考えることです。壁に突き当たろうがどうなろうが関係ありません。ひたすら描きまくるのみです。
杖術の稽古と同じです。
絵は杖術のそれとは違い、非常に個人的なものなので誰にも相談はできません。
必然的に描き続ける事しか方法がなかった訳で、延々とそうやって来たという経緯があります。
ま、今からも同じでしょうけど…。

前置きの話が若干長くなりました。
学会の活動も上の話と全く同じです。
アンチ学会のかつての活動家(だったと自慢している人間)が、「覚醒」と言う洗礼を受けた後に話す言葉の代表的なものが、これ。

今まで創価学会に騙されていた…

身勝手な言い方にも色々ありますが、これはその中でも突出している言葉です。ハッキリ言って、お前はバカか!!と言いたくなるような…。

疑問も何も持たず、にただ学会の同僚、幹部から言われたことを淡々とやっている人間にまともな思考能力のある訳はありません。そんな下らない人間が何を今更グダグダ愚痴っているのでしょう!?
そんなのは人間じゃなく、単なる頭の空っぽな人形だと思いますが、どうでしょう…。

人間なら疑問を持つことは至極当然。活動していた当時にどうして疑問を持たなかったのか、不思議としか言いようがありません。
こう話すと必ず次の言葉が出てきます。

疑問を持たずに信じ切ることが師弟の道だ、と指導されていた

上の杖術の先生の話を思い出して下さい。

何だか分からないから、適当に先生にでも聞いてみよう。何か教えてくれるかも

…安易もいいところ。

それを先生がずばり見抜いて指摘したのです。
しかし、聞くなとは言っていません。

まず自分でギリギリの状態まで追い込んでみる。壁にぶつかってそれでも必死の思いで稽古をし続ける。そして本当にどうしようもない状態になった時に、初めて他人に答えを求める。
下位者のこう言う必死さは、上段者に直感的に分かるものです。(自分達がそうだった訳だから)
学会の幹部と言われる人間も同じです。必死でぶつけてくる思いを、それ以上に必死の思いで受け止める。文字通り全身全霊を賭けて対話を行う訳です。

問題がその幹部には手に負えない問題だったら、自分より上の幹部に相談し、持って行く。それでも解決出来そうに無かったらもっと上の幹部に…。
最終的には副会長までの道が誰にでも開けているのです。皆そうやって自分の問題の解決を図ろうと活動しています。それが昔からの学会のやり方なのです。
疑問を相談されて逆ギレする人間はいません。そんなのは創価学会員では無く、そこら辺りを徘徊している浮浪児のオッサンです。(ただ、「動執生疑」と呼ばれる非常に重要な話の持って行き方がありますが、これは別の話です)

さて、学会を離れた人間がそれらの行動をやってきたのでしょうか?
疑問とする所です…。
全くか、ほとんどその努力をやらずに、自分で勝手に結論を付けただろう事は間違いない様に思えます。努力も何もしなかった結果、逆ギレの言葉を吐き散らす世界に目出度く入会し、吐き出す言葉は以下の事…。

兎に角、自分は全く悪くはない、全然悪くはない。悪いのは創価学会だ!!」…云々。

学会の幹部と言われる人達もはっきり言ってどこにでも居る普通のおじさんやおばさんです。
大学出も居るでしょうがほとんどは最終学歴が高等学校卒業。話が非常に上手な人も居るものの、大半の人は話し下手どころか引っ込み思案の人達ばかり。
普通の人の集まりの中の普通の幹部。間違いもあるし(と言うか結構あると思いますが)、相手の感情を逆なでする人も居る事も確か…。
自分の祖母が昔そうでしたが、学会の中心を占めていたのは、病人、貧乏人…。その延長線上に今の学会がある訳です。

学会というものはエリート集団とは全く次元の違う団体である。そんな普通の人間が必死に頑張って、自分自身や身の周り(近隣)を良くしようと頑張っているのです。
口下手なりになんとか自分の信じている信心の話をしようとしている。
その話の中には勘違いもあるし、間違いも多いだろう事も確か。皆必死の思いで、自分だけでは無く他人も幸せになって欲しいと願いながら活動しているのです。
だから間違いを許すべきだ、などと言うつもりありません。
ただ、そういいう思いは少しは汲んで見てもいいかとは思う。

幹部に疑問をぶつけて自分の期待する答えが返ってこなかったから、だから脱会したんだと話す元学会員。
さて、貴方は周りの必死な思いの人たちに比べて、どの程度の努力をしたのだろうか?
ブログ等の記事を読む限りは、申し訳ないがそんな感じは一切受けない。
学会当時に学会の指導通り、疑問の解決に向けてどれだけの事をしたのか。題目をどれだあげきったのか?教学本を何十冊読んだのか?、何人の先輩や幹部に相談に行ったのか?
杖術や絵の話を思い出して欲しい。二つとも上手くなるには、「自分で」練習をしないと駄目なのだ。他人に練習を任せたところで、その人がうまくなるだけだ。自分の下手さを先生や世の中の責任にしたところで、どうなるのか?

こんな事は当たり前すぎてまともな文章にもならないと考えますが…。

〇   〇   〇

覚醒(学会からの退転)してとても正常な心根になったと言う元学会員さん、もう一度自分のやっている事を、自分の頭で考えてみる事をお勧めします。MCだ、洗脳だの愚痴ばかりの御託を並べていないで、しっかり考えてみるべきだと思う。
貴方、覚醒というものをしたんでしょう?
ウォーカー(ゾンビ)化した訳じゃないですよね???
覚醒って普通の人間になる事だと定義できる訳です?普通の人間なら、まともな事を、まともな文章で、まともに考えて書けるはず。

他人の粗探しばかりの人生なんて本当に下らない生き方だと、個人的にはそう思いますね。


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Author: 乾河原

1 thought on “「疑問の解決方法」のお話

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