かなり前の事、私が地区部長をさせて頂いていた頃の部員さんに、今で言えば『性同一性障害』の方が居ました。
その人はとてもマメで人間的にも好感を持てる方でした。
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私は基本的に、そういう事に関しては何の差別感覚も持っていません。
彼はとても真面目で細かい処に気付く人でした。
信心も真正面からされていました。
私はいつもその人の処にお邪魔して色々な話をしていたものです。
彼はその当時学会役職は持っていませんでした。
で、そろそろしっかりした役職を持って貰いたいと思い、幹部の人に彼の副B長(現:副前進勝利長)就任要請をしました。
私は彼の真面目な信心と人間性以外は全く眼中に無かったのですが、その人は思いっきり嫌な顔をしました。(かなり昔の事ですので、そう言う記憶になったのかもしれませんが)
結局その話は無かった事になりました。かなりなショックでした。
もっと上の幹部にまで話を持って行こうとも思いましたけど、その当時の彼の様な人間を世間がどう見ているかはよく分かっていましたので、結局止める事にしました。(学会幹部と言えども普通の人ですからね…)
現在なら状況も変わっていますので、違ったかもしれません。
…でも若しかして同じかもしれません。
恐れ多い話ですけど、その幹部が日蓮大聖人だったとしたら、そんな差別はなさらないはず。
人間って中々生活の中の感覚って改められないものですから。
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学会の細部にわたって、ある意味こう言う差別的な話は多かれ少なかれ有るでしょう。
でも、だから常に自分たちの思想、行動を反省し続けて行かないと駄目なのでしょうね。
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