学会批判系ブログ中の「内部告発」を表明している、ある意味本物の学会批判ブログとして前から気にはなっていました。
しかし、記事それぞれが文字通り学会問題の中心軸を突く内容で、個人的にはどこから手をつければ良いのかまたどう考えれば良いのかさっぱりの処がありました。
とは言うものの、今回彼らの主張の全てを理解しないままでも、自分に解る問題に関しての「個人的な意見」を表明する事ぐらいは何とか出来るのではないか、また無駄でもないのでは、と考えてこんな記事を書いてみました。
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かなり有名なブログサイトですので、読んだ方も少なからず居られるやと考えます。
当ブログに対してネット上ではそれぞれ賛否両論も存在しているようです。
個人的にも成る程と納得出来る文章も、また逆に若干引っかかる内容も見つかります…。
彼らの話す批判の中心軸は『池田先生と現執行部の意見の相違』と言う事のようです。
少なくとも彼らにとって現在の学会本部の人間は、永遠の師匠である池田先生の意向を全く無視しているのではないかと言う主張の様に感じます…。
しかし申し訳ないのですが、個人的に学会本部の現実の状況を全く知らない人間にとって、そうかもしれないしまたそうでないかもしれない…と言うかなりいい加減な意見しか現実的には出す事が出来ません。
と言うことで、今回(一部の記事ですが)読んで感じた事のみを「個人の感想」として書いてみる事にしました。
さて、彼等3人は、公明党(及び創価学会執行部)に対してこんな言葉を投げかけています…。
『1,2014年の「閣議決定」及び、2015年に成立させた「安保法制」を認めていた事は間違っていた事、を世間に対して声明を出す事
2,公明党との連絡協議会で、公明党に『2014年の「閣議決定」及び、2015年に成立させた『安保法制』を撤回する為に戦うべきである、事を訴え、且つそれを世間にも報道する事
そうでなければ、「恒久平和の建設」という「立党の意義」を裏切った公明党と、「絶対平和主義」という根本理念を裏切った創価学会本部が、世間と心ある学会員の皆さんからの信頼を取り戻すことはできないと考えます』
…つまり、このまま放置していると、池田先生(及び牧口、戸田両先生)の命を賭けて主張し続けていた『平和を作る学会と公明党』の基本理念が全く踏みにじられてしまうと言う事らしいのです…。
また彼等3名は、現在学会本部から除名処分を受けてもいます。
学会と某宗門の関係を思い出すようなそんな状況でもあります。
が、ややこしくなるので今は「処分」の問題には触れません。
で、彼らの学会本部や公明党に対する批判の感想文を、素人ながら何とか自身の「意見的」に綴ってみたいと思います。
多分、何の参考にもならない「個人的意見」でしょうが…(‘-‘*)
先生の承認の問題
彼ら3人は、党本部と学会執行部が今回の決定に関して池田先生からの「承認」を得たのかどうかを問題にしています。
でも、平安時代盛んに行われていた天皇の「院政体制」じゃあるまいし、一々学会本部の行動に対する先生からの「許可」が果たして本当に必要なものかどうか…この事は非常な疑問とします。
「先生は全ての問題を弟子に託した」はずだと私はそう結論しています。
この「全ての問題を託した」とは、「今後の弟子達の起こす信心上での行動の成否全て含めての事」だと個人的にはそう解釈しているのです。(賛否はあるでしょうけども)
全ての問題が、成功に継ぐ成功となる事など現実的にはあり得ません。
俗な言い方をすれば「失敗」も成功の元だとも考えるべきだし、信心上でもそれは事実の事になります。(今回の問題が「失敗」となるのかどうかは、「解釈」の問題かもしれませんが…)
「先生を信じ切る」と言う事は、取りも直さず「直弟子を信じ切る」という話と同義ではないでしょうか?そうでないと、結局先生の作られた体制そのものへの「全不信」になってくるのではないかと考えるのです。
公明党への信頼
学会は公明党を何処まで行っても信じ切るべきだと考えます。
この事は学会批判者のよく主張しているマインドコントロール的なチャラチャラした話ではありません。
自分自身の信仰と生活を賭けた「信」です。
学会員達は政治政党として公明党を選び、そして応援しています。
一度選んだ議員、そして政党は最後まで信じていくべきです。
選ばれた彼ら議員達は、自分自身のプライド、信仰心、そして代議士としての経験をフルに使って一つひとつの政治問題をそれぞれ処理・解決しようと努力しているはずです。
餅は餅屋じゃないですが、やはりプロに属する問題はその道のプロフェッショナルに任せるべきです。
素人は何処まで行っても素人的な範囲でしか政治問題を考える事は出来ません。
で、若しそれでも駄目であれば次の選挙には別の党を応援すれば済むはずです。
政党応援は全くの個人の問題ですから…。
他にも様々な政党があります。共産党も良いかもしれません…。
それは兎も角、公明党応援も若しかして「信心の結果」の出る「時間のズレ的」なものがあるのかもしれません。
その場限りの短期間で見た場合と、長期で観察した場合、下手をすると真逆の結果が出現する事もある、とそう言うものかもしれません…。
安保問題
平和条項の「憲法第9条」の解釈は、その手の興味のある人々にとっては最重要の問題かもしれません。
これが「安保」との絡みが出てくると、途端かなり専門家でもないと中々決着のつかない物になって来ます。(まあ専門家でもお手上げのようですが…)
私はド素人なりの考えで、現時点での安保法制は特に問題の無いものだと考えます。
単純に(こんなことを書くと怒鳴られますけど)整理すると、
日本国の周囲には、様々な政治的にも歴史的にも「それなりの悪意」を持った国々が存在しています。
特に中華人民共和国は、嘗(かつ)ての「中華思想」を未だに保持している国です。
「中華思想」とは簡単に言うと、自身の国に対して周辺国家は「朝貢国」として存在しているだけだと言う考え方です。
「朝貢国」とは要するに「属国」、つまり極端に表現すると自国に隷属する(奴隷的な)国と言う事です。
日本は勿論、朝鮮半島もそしてベトナム(越南)も、中国にとっては「自国の領土内」の国として認識されています。
日本が若し、何処にも頼るべき国もなく平和憲法だけを柱に軍隊も無い状態だとして、果たして一体どうなるのでしょうか…。
まあこれは極端すぎる物語ですが、でも北朝鮮は一触即発的な考えを持っているようです…。
日本の生き残りの方法は、アメリカと同盟を結ぶか、近隣大国である中国と新たに安保を結ぶか、又は独自の「自立した(他国を攻撃できる能力のある)軍隊」持つか…3つに一つなんだろうと考えますが、素人過ぎる感覚なんでしょうか…。
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創価学会は、民衆一人ひとりの「信仰の意思・体験」から始まり、今も個々人の信仰体験を中心軸に組織発展がなされています。
多分この事は何千年何万年経とうとも変わらない「原則」だと考えます。
彼ら3人は、「学会本部執行部」が革命しないと学会全体の変化はないと主張していますが、それは間違いではと考えます。
その思想は余りにも単純過ぎです。
単に中枢部が変わればそれで学会全てが変わるというのは、世俗の皮相的な感覚です。
少なくとも池田先生の「人間革命」の思想とは真逆の思想だと言えます。
池田先生が戸田先生に質問をした「学会を変える方法」を、もう一度考えてみるべき時期に入っているのではとそう考えるのです…。
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