脳梗塞で入院…そしてその後

脳梗塞入院での顛末よりの続きです

先日、義母の家にお土産を持って遊びに行ってきました。

今回の選挙応援での「アッシー君」(死語?)として、また地方の物産と個人的な嗜好(旨いもの食べ歩き)、そして主役の選挙応援を妻が行っているのを、心の中で「がんば♪」と叫ぶ事を主なものとしたものです。

義母は、居間でお茶を飲みながらこんな話をしてくれました。

あなた(私のこと)と同じ時期に倒れたあのAさん。今だに車椅子の生活送ってますよ…。
流石にあの子(A婦人)も今回の事に懲りたのかウチに遊びに来た時、以前は見向きもしなかったお仏壇に無言のままだけど中の御本尊を見るようになったみたい。でも、まだ題目はあげないけど…。
実を言うと、あの子が来る時には、わざと仏壇の扉を開けて待ってるんだけどね…

…色々考えさせられる話です。

〇   〇   〇

A氏は義父の実弟です。
亡くなった義父に似て少々脳天気なところもある人間です…。
またA氏夫婦は信心拒否、そして更には学会批判史のとても長い人々です。

しかしその彼等の生活が、去年激変しました。
旦那さんが「脳梗塞」で倒れ「左半身完全麻痺」、そして「車椅子」の生活者となったのです…。

車椅子はともかく、どこかで聴いたようなお話です……。

ウチの義母は、信心バリバリの学会婦人部です。
今は年齢的、体力的に大分ガタが来ましたので、遠くの会合等はセーブしています。
下手に外を歩いて転倒・骨折でもしたら大変です。
同居中の義母の娘(ウチの妻の妹)が外出を抑(おさ)えているのです。
でも、私が妻と一緒になった当時の彼女は文字通り「Power全開!24時間不眠不休で戦えますわよ!!」のバッリバリ学会婦人でした。
当然「池田先生第一」の人でもあります。

そんな義母は若い時からA夫婦にも折伏の手は緩めませんでした。
しかし、やはりと言うのか当然の反応と言っていいのか、彼等は信心の話など一切受け付ける事はありませんでした。
逆にA婦人からは、義母に対して強烈な学会批判を繰り返すばかりでした。
まあ、我々の活動ではよくある悲喜交々(こもごも)な日常風景です…。

A婦人は尋常ならざるお喋りおばさんです。
私も数回お相手をした事がありますが、兎にも角にも「間髪を入れず」と言う程の怒濤の如き言葉の数々を延々と繰り出してくる人です。
話す内容の空虚さはともかく、「」の凄さは半端ではありません。
義父のお葬式の時に私の長女もその洗礼を受けましたが、流石の彼女もかなり閉口していたようです。

そんな怒濤の如きの「学会批判」の数々です。どんな感じかは想像付くかと…。
そしてまた、夫のA氏も信心のあれこれなど頭に入れる人ではありません。
それどころか彼は彼で、ここでは話せないような酷い事を義父夫婦にしていたのです…。

そんなこんなの状態がかれこれ数十年。
しかし(…だから?)、その間彼等A夫婦には様々な難儀な事が起こりました…。

A夫婦は、かつて花屋さん経営をしていました。
でも理由は知りませんが、いつ頃からかその店を畳んでいました。
その後喫茶店の経営もしていましたが、結局借金を作ってその店も畳(たた)んでしまいました。
また、彼等の娘も離婚していたと言う話です…。
その上彼は、近頃少々「ボケ」がかってきたようなのです…。
なかなかに「絵に描いた」ような、そんな「学会批判者達の行く末」だと言えそうです。

さて、そんなA氏が「去年」(2018年)倒れました。
病名は「脳梗塞」。そして「左半身完全麻痺」の重症。
継いでと言っては何ですが同じく「去年」のこと、私も彼と同様の「脳梗塞」で入院、「左半身完全麻痺」となっています。
余りにも「うり二つ」のお話です。
偶然」にしては意味深過ぎる様にも感じます…。

こんな話、世の中にはそんなに多く発生するものではありません。
学会員」と「学会批判者」が同時期に全く同じ病名・症状の病気になった訳です。
感情論」や「中傷論」、また「偶然」が入り込む余地は何所にもありません。

この二つのサンプル(私とA氏)に違いが出ているのでしょうか…?
若しその違いがあるとして、原因は一体何なのでしょうか…?
信心上から冷静に見て、問題にし得るものただ病後の「結果」です…。

かつて牧口先生は日蓮仏法信仰を、「生活実験」と表現されました。
宗教を自身の生活に適応して、そしてその結果がどうなるかを観察しようと言うそんな意味の話です。
流石、当代一流の科学者の考えそうな、そんな表現方法です…。
そして、その御弟子さんの戸田先生は同じく日蓮仏法を「科学」だと断言しました。
…更には、池田先生は「方程式」と呼びました。

三人の先生方は、日蓮仏法の実践をそれぞれ別の言い方で話していますが、しかし帰する意味は全く同じです。
実験」や「科学」、更には「方程式」とは要するに「再現性」がある、そして日蓮仏法を信仰すれば必ず結果(功徳)が出ると言う事の別謂です。

各先生方がそれぞれ断言された「科学的」な実践論から見ると、私とA氏の「脳梗塞・左半身完全麻痺」は一体全体どう解釈出来るのでしょうか…?
病名も病状も同一で、違いは(信心による)「二人の行動」だけです。
一人は信心を(真面目では無いけども…)続けていた学会員。
片やその信仰を批判していた人間です。
信仰批判」が重要な要素になっているようです……。

さて、私の「結果」はここでは繰り返しません。記事にしていますので興味のある方は一読して下さい。
会批判を繰り返してきたAさん(及びA婦人)は義母のお話では、現時点(2019年4月)でまだ車椅子の生活が続いている状態です…。
彼の病状・生活を詳しく聞いてみると、飽くまでも個人的な感想ですが、これ以上の回復(立つ、歩く)は見込めない様に思えます。

私の入院時の担当医のお話ですが、一度脳幹で体幹に繋(つな)がる神経が切れてしまうと、基本的にもう元には戻らないそうです。
少々の努力や根性などでは手足は動くものではないのです。(文字通り体験済み)

人間の体というものは怖いところがあって、動かない体の部分があると脳がそれを「不必要」と判断して、そして勝手に(神経的に)切り捨ててしまうのです。
そうなると今度は本当に動く事が出来なくなってしいます。
これは「中傷」や「感情論」として話しているのではありません。
A氏の年齢、体力、精神力等を考えると、どんなに楽観視してもやはり絶望的にならざるを得ないのです。

この事は、実際に体験した人しか理解も想像もする事も出来ない話です。

車いすで「トイレに行く」ことだけを考えても、想像以上の不便さがあります。
ましてやその他の日常生活になると…。
そして同じ事はパートナーであるA婦人の人生全体にも同様に被(かぶ)さってきます…。(それ以上…?)

不幸」と言う言葉は適当ではないでしょうが、しかし「究極的に不便」だと言う事は間違いなく言えるようです。
…これが、日蓮仏法上の冷厳な結果になります。
誰にも否定出来ない「方程式・科学・実験の答え」なのです。

…しかし、そうは言いながらも、義母はやはり学会員です。
心底からの「創価学会員」です。
批判者や退転者達が馬鹿にする「バリバリ」の学会員なのです。
バリバリ」を「慈悲」の異名と捉えると、義母もやはり「慈悲」(バリバリ)の塊(かたまり)の人間です。
A夫婦に様々なことをされた歴史があったとしても、義母にとって彼等はやはり可愛い義弟や義妹なのです…。

義母は、そのあともA婦人に折伏を試みています。
その「途中結果」が冒頭の話です…。

A婦人は、義母宅に遊びに来た時は上述したように御本尊は見ますが、題目はまだまだのようです。
まあ女としての意地もあるでしょうし、今までの「学会批判」の後ろめたさも若しかして持っているかも知れません。
また、今更義姉に「負けた」と思いたくもないと言う、負けん気のプライドもあるのでしょう。
しかし、彼等A夫婦の現在の状況はそんな悠長な「プライド」や「感情論」を弄(もてあそ)んでいるヒマがある様には決して見えないのですが…。

…そんなこんなのお話を聴かせて貰った、今回の義母宅訪問でした…。
そして私自身遅まきながらも、やっと今回の「脳梗塞入院の信心上での意味」が一つ理解出来たような気がしています。

願兼於業

普通の学会員であればこの言葉は説明不要でしょう。
意訳すると「使命」とも呼べます。

まあ、個人的には今回のものは少々難儀で酷く痛い「使命」でしたが、何とか一つ果たした感じでもいます。
でもしかし、一人の人間の信心の「使命」は他にも多々有るようなので、また別の何かが新たに出てくるかも知れません。
若しかしてもっと酷い状況が起きる可能性もあり得ます。

でも「使命」の放棄はやはり許されません。
面倒いことですが、最後の最後まで信心を軸にして遣り切るしか途(みち)はないようです…。(消極的…?)

〇   〇   〇

さて、今回の「結論」です。

はっきりここで断言しておきます。
信心の結果」は必ず出ます。
そして同時に「学会批判の結果」も間違いなく出てきます。

その「事実」を本気の本気で考える事が出来る人間が批判者の中からたった一人でも出てくると、多分学会批判の世界はガラリと変わってくるのではないでしょうか…。

そんな「脳梗塞顛末」の事後譚でした…


関連記事

脳梗塞入院での顛末-Ⅰ
「題目」を信じるという事
遅咲きの宿業転換

Author: 乾河原

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です