脳梗塞入院での顛末-Ⅰ

蝉霧雪桜ブログ管理人は、今回脳梗塞を起こして倒れてしまい、3週間ほどの入院生活を送りました。
その一部始終を日記形式でまとめてみました。
これは実際にこの身に起きた事実の話です。
記載した年月日も実際のものです。

〇   〇   〇

全体は非常に長い記事ですので記事分割後景3回に分けて記事掲載をして行きます。
記事の前半部分は信心上の話は極力省いて事実のみを記載し、後半部分に信心を中心とした話を載せていきます(いわゆる普通の信仰体験談)。
若し脳梗塞の信仰体験に興味のある方は読んでみて下さい。

後半部分の信仰体験はともかく前半部の入院記事内容は、親しい人に脳梗塞で倒れたという人が居られましたら、若しかしてこの内容が何かの参考になるかもしれません。
そう言う方にも一読をお勧めしたいと考えています。

この記事と同じ内容のものを自分の地区で、体験発表として実際に行いました。(勿論短く縮小した内容ですが…)

   事実経過・脳梗塞似て倒れ、そして入院

2018年11月5日

家で昼を食べて一眠りをした後、急に吐き気を催した。
その後原因不明の体調不良となり休んでいたが、再度吐き気がした。
が、何故か立ち上がれなくなってしまい、トイレまで必死に四つん這いで飛び込み、お腹にあったもの全て吐き出してしまった。

体調不良の原因を、その時は食べ合わせが悪かったと考えていた。
その旨を仕事中の妻にメールをしていたが、逆に彼女がその状況を判断して自宅まで救急車を呼ぶ事になった。

吐き気、歩行困難は「脳梗塞」の前段症状である。
病院に搬送される間に、まだやや不随だった左半身の麻痺が更に強くなってきた。
口も余り回らなくなった。
病院到着後に即ICU(SCU)病棟に入る。
その頃はまだまだ完全な半身不随という症状ではなかったので意外にノンビリした感覚で運ばれて記憶がある。

妻、娘夫婦も飛んできてくれた。(その時点では元気だったので彼女達と話はしたが)

夜に掛けてMRIやレントゲンの頭部写真を撮影する。
その結果を、次の日に担当医師が妻と娘に状況説明をした。
自分は勿論知らされていなかった、が状態は非常に重篤(じゅうとく)だったと後日知った。
当日の夜中、そして次の朝方に掛けて、左半身(腕・手、脚部等全て)が完全に麻痺してしまった。左半分の感覚がなくなって身動きするのも困難になってしまった。
寝返り一つ出来ない状態にまで落ち込んだ。

 後日知るその時の状態は以下の通り。

  • 病名は「右延髄(えんずい)梗塞(こうそく)」。
  • 身体にとっては非常に危険な部位が破損したと言う事である。つまり一歩間違えるとそのまま回復不能となる部位だったらしい。
  • 上述説明の具体的な話は、(MRIの画像を見る限りでは)延髄から脳に行く二つの太い血管の右側が脳への入り口部分で切れて無くなっている(詰まって切れている)。要するに、脳に血液が行かなくなっていて脳細胞のその部分が死んでいるらしい。で、左側の体全てが不随となったものだ。
  • その時点での医師の判断は、最悪この状態のまま(左半身不随のまま)回復は全く見込めない、と言う。
  • 次の日の担当医から行われた家族(妻、娘)への話は、上述の状況を認識して、覚悟を固めて下さいとの事であった。

勿論私自身はそれらの話は聞かされてはいない。
この事は後日頭部のMRI診断写真を見ながらの担当医から聞かされたものである。(後述)
と言う非常に重篤(じゅうとく)極まりのない脳梗塞入院から、この話は始まります。

2018年11月6日(火)

朝には左の手足や顔面、左腹部が完全麻痺となっていた。
夜中はほぼ不眠状態。
腕や胸には点滴チューブや心電図用のコードが這(は)いずり回っているし、第一トイレに行くにもナースコールを押さないと駄目な状況。(暫くあとで「しびん」使用になるが…)汗はかくし、背中や腰が床ずれを起こして痛みが体中に広がる。
腕が何所(どこ)に置いてあるのかも分からない状況(完全麻痺状態)では寝返りもうてない。(まあ体も現実的に動かないし…)
ナースコールを何度もしようとするが、その器具そのものが行方不明となっていて探すのにも一苦労だ。
それでも、やっと朝方にウトウトしてきた。

体の状態を看護師さんに問いかけられてろれつの回らない口で答えるものの、自分でも何を話しているのかさっぱりな言葉遣いである。
また、右目に眼振(がんしん)症状が出ている。
眼球が右方向に向けられなくなり、向けようとすると眼球振動(反発)をしてしまってさっぱり目の焦点が合わない。
目を開くとそんな辛い状況なので、仕方なく目を閉じたままで過ごす。

この眼振の症状に効くかどうか分からないが、目を瞑ったまま眼球を上下左右・回転の練習をしてみる。
これは自分だけの状況判断の練習なので効果の程は不明であるが…。
更には眼振症状で目が開けてられないので目を瞑(つむ)るしか無く、その状態が続くと寝てしまう。
結局日中その状態が続くと夜も当然寝ていられなくなる。
これが無間地獄の一端かも知れない、などと考えたりする。

無寝地獄」か、はたまた点滴チューブや心電図コードに縛られた「緊縛地獄」か…。
更に加えてナースコール「しびん、車椅子強制地獄」も加算されている。
まあ、なかなか賑(にぎ)やかな地獄絵図だと言えそうだ…。

やはり本気で困ったのは、左の腕が行方不明で、寝返り行動が非常に困難だと言う事。
一回寝返りするのに汗びっしょり。
それも左腕の位置を確認しながらである(腕の位置を確認せずに安易に寝返りを打ったりすると、ねんざや骨折は必至)。
その体勢が苦しくなって再度反対向きになろうとしながらまた一汗…。
チューブやコード類もゾロゾロ引き連れながらの寝返りなので鬱陶(うっとう)しい事この上なし。
脳梗塞身体麻痺の辛さよりも、寝返り困難なその状態が本気で辛いと感じた。

スマホにもメールが来ている様だが、それを心配している余裕など何所にも無い。
そもそも起き上がってスマホ本体を探すことも手に取ることも出来ない訳だし。

昨日に続き再度MRIの撮影を受ける。
昨夜も思ったが撮影時はひたすら機械音がうるさい。
もっと静かなものが開発されればなあ、などと呑気に考える。

妻、娘夫婦も見舞いに来て心配そうである。(当たり前か…)
上述した様に担当医からの診断結果をかみしめながらの彼女達のお見舞いである。
自分自身そんな医師の話は知らない訳で、ベッドに横たわって「旨いもの食いたい」などとろれつの回らない口で脳天気に言い放っているのは、今思い出せばバカの口滑りだったと言う事だ。

さてこんな入院初日の状況だったが、昨日の搬送時にも思った事は自分の今の状態をしっかり自分の中で受け止めて、一旦それまでの健康な自分を完全にリセット。
そして『歩く』と言う事だけを考える事にした。
第一他の感情は何も頭には浮かばなかった事も事実。

気持ちは非常にクリアであった。特に悩むことも無かったし、「これから一体どうなるのだろう」などという不安感情も起こらない。
昨日倒れた時点で何故か信心の腹は決まっていた。
頭を占めていたのはただ一つのこと。

歩く

とにかく「再び歩くこと」と言う事だけであった。
最終目標は「走る」事であるが、当面は「歩く」事だけを中心に入院生活をして行こうと言う気持ちが、更に明確になった。

さてしかし今の自分の状況はと言うと、左側の手足が全く動かない状態。
じゃあ動かない指や腕から動かす練習をしてみようと思い、鉄筋の如き不動の指を動かないままながらも何とか動かそうとやってみる。
何故か左足の親指と人差し指だけ感覚が正常に近いので、その指も実際に更に動かす努力をしてみる。

しかし当然の話、脳梗塞入院は「昨日の今日」の話、トイレに行くのにもナースコールで車椅子状態。
この辱(はずかし)めを一刻も早く払拭(ふっしょく)することが先決である。
それにしても何か旨いものを食いたい…。

11月7日(水)

麻痺の症状は依然変わらず。
口のろれつも(まあ、いつもそうだったが)最悪に上手く回らなくてコミュニケーション完全不良状態。
眼振も依然として健在。
故の理由で本が読めないのが激烈に辛い。
体も寝過ぎで相変わらず痛いし、肩も張っている。
今思いだしてみるとこの時期前後が入院中の一番辛い日々だった様だ。

寝返り困難状態も続いているが、徐々にコツを掴んできた。
右手の腕力は未だ健在なので、その力を利用しながらの寝返りである。
ベッドの柵に手を掛けて力任せの荒技。
時折掴(つか)んだ柵を引っこ抜いてしまい看護師に注意を受けることもあった。

麻痺状態の左脚には数枚布団が敷かれている様に感じられるが、みると気のせいなのが分かる。
指も胸に置いてある様に感じはするものの、実際の位置は体の裏側と言う事も多々あった。
指が少し動く様になった。足首も少し…。いい感じの幸先か。

義母と義妹がお見舞いに来る。言葉がふにゃふにゃのまま話をする。彼女らにとってはいつもの自分の言葉の様に聞こえていたのかも…。

おかゆ御飯が出た。おかゆは元々好きなのでとても美味しい。
温泉旅館と病院は食事がメインだ。
これを外すと全く辛い生活になるが、この病院調理はとても良質だ。
聞くところによると、ホテルの調理担当も一役かっているそうだ。

身体リハビリが早くも始まる。
現在の病院運用は、昔と違って患者の入院初期に間髪を入れず身体や言葉のリハビリ訓練をする様だ。(リハビリの訓練は早ければ早いほど効果は出るそうだ)
勿論起き上がることも出来ないので、療法士さんが足や腕を強制的に動かす訓練である。
同時に言語リハビリも始まる。元々話は上手くないのだが、「ろれつ」はやはり治したい。

…Ⅱ-事実経過・回復進み、そして院内フリーに続きます


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Author: 乾河原

3 thoughts on “脳梗塞入院での顛末-Ⅰ

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