職場での小さな「宿業転換」の話

ウチの会社は「縁故人事」一色の職場です。
…いきなりの話ですが、事実です。

知っているだけでも、数人のその手の関係で入社した人間が存在します。
特に自分の所属するボイラー係に、そのものずばりの人間が今も居座り続けている状況です。
その「縁故の彼」は職場の仲間からは文字通り鼻つまみ者となっていますが、当人は意にも介していません。(彼は学習障害者なので、そう言う意味では「意に介し」ようにも出来ない人間なのですが…)

〇   〇   〇

会社のそう言う雰囲気を受けてかどうかは分かりませんけど、私の所属する課内の空気も「仕事の場所」と言うよりも(悪い意味での)「仲良しクラブ」的な感じの雰囲気を持っています。
好きな仲間内ではとても良い状態ですが、嫌いな人間に対しては打って変わって突っ慳貪(けんどん)な態度を取ります。
全員がそうだとは言いません。
でも、8割方はそんな感じの子供染みた人間達です。
実際「彼が嫌いだから仕事を頼まない」「彼には早く入院してほしい」等の言葉が、課長自ら発している始末です…。
全員がいい年のおじいさん連中なんですが、人間性は年齢とは何の関係もないようです…。

一企業で働く人間としては恥ずかしい限りのそんな職場に在職していると、色々面倒臭いことも多々出てきます…。

私の居る職場は管理課。
その下部にボイラー係と、あと二つの係が存在します。
しかし、ボイラー係とその他二つの部署とは何故か仲が悪いのです。
と言うのか「反目」し合っている関係なのです。
現在は表だっての仲の悪さは見られませんが、昔は結構なものだったのだろうと考えています。

多分、歴史的に何か理由があってそう言う悪感情が積み重なって出来たものなんでしょう。
ボイラー職自体なかなか他人様には理解の出来ない、かなり特殊な職域だとも言えますので、そう言う目に見えない感情が何となくお互いの反感感情に結び付いたのではないか、と何となくですがそんな想像をしています。

私が入社した時点でもその感情がまだ健在でして、自動的に他の2部署とは余り良い関係を持てませんでした…。
彼ら伝統の「好き・嫌い」感情の職場関係が始まった訳です。

その一番分かりやすい例は、挨拶が帰ってこないと言うものです。

出勤時・退社時等の「挨拶」は職場の、と言うよりも社会的な人間関係の「常識」の部類に入っているはずです。
しかるに彼ら古株連中は、自分があいつを「嫌い」だから挨拶を返さないと言う子供の世界観で物事を考えるのです。
外部から見ると非常に歪(いびつ)な論理の人間関係が、彼ら古参の「常識」だったのです。

その歪さは仕事全般に広がっています…。
面倒臭いものです。

夜勤終了で職場を離れる時、「お疲れ様でした」の言葉に対して挨拶がほとんど返ってこないまま一人で乗る地下鉄…それも毎日。
疲れが倍増します。
また、こちらからの好意の手伝いに対しても非常に迷惑そうな態度を取られることも、また多々。

心が折れる時もありましたが、それでもこの状態は自分自身の「ここが宿業転換の場だ!」「境涯革命の試練なんだ!」だと思い、歯を食いしばりながらも何とか仕事を続けてきました。
勿論ご本尊様への御祈念も精一杯…。

そんな辛い状況も、長く経験すれば意外に慣れてくるものです…。
彼らの挨拶無視もほぼ大して気にならなくなった時期に、今度は夏場のボイラー職での夜勤中止と言う、夜勤に馴染むだけ馴染んだ体にとっては青天の霹靂の出来事が起こりました。

上司曰く…。
夏場にはボイラー夜勤の仕事はないので(つまり暖房がないので)、夜勤を無くした方が会社の利益になる。故にボイラー技士は日勤オンリーとする……
要するに経費削減です。

まあ確かに、表面的にはボイラー技士の仕事の夏場のあり方は無駄な様に見えるところもありますが、それは余りにも皮相的な仕事の見方では…等という正当な意見など彼らお上(かみ)共に通用する訳はありません。
こちらとしては年齢も含めて立場的には最弱者の部類。
彼らに直接強訴(ごうそ)してこちらの要求を通す…などという力は一切持っていないのです。

夜勤が無いと言うことは明け番も無いと言うことです。
夕方出勤してそして次の朝帰宅と言う勤務態勢。
素敵すぎるエンジョイ生活が一瞬で消滅してしまった訳です。
オマケに夜勤手当も消え去ってしまいました…。

が、決まったことはグダグダ言っても仕方の無いことです。
腹を決めるしか有りません。
そして、こう言う状態になったことは間違いなく御本尊からの新たな「使命」なんだろうとも思い腹を決めた訳です。

はじめは兎も角、日勤生活も順化出来るものです。
毎日定時に起床する生活も意外に体には良さげで、そもそも会社での色々な仕事が目白押しとなってきたのでそれを熟(こな)すことが今度は自分の義務、そして楽しみともなってきたのです。
一月も経たない程で、日勤生活も全然悪くはないな…などと言う、初めの頃滅っ茶悩んでいた自分が一体何処に行ったのやら、と言う状況になりました。

そして最大の収穫は、例の古株との新たな関係改善がなされたことです。

彼らと身近で一緒に汗を流しながらの仕事のお陰で、上述した長年の有耶無耶なお互いの悪感情が徐々に消えて行ったのです。
私自身も彼らに対しての何となくの変な感情があったことも確かですが、やはり人間は直接体を寄せ合って且つ直接言葉を交わしていくと、どんなお互いの敵意を持った関係も案外綺麗さっぱりと消えてしまうものです。

最終的には、その古株と冗談まで言える間柄になりました。
更には彼から仕事の頼み事をされるまでに関係は良好になったのです…。
当然挨拶も彼からしてくるようにもなりました。

結局彼らとの悪感情の歴史とは、「人間関係の疎遠さ」だったのかもしれません。

御本尊の功徳というものは結局こう言うものだろうなと熟々(つくづく)考えます。
ボイラー係だけ、夜勤もその手当も無くなるという「仕打ち」は(他の係の夜勤は健在)、御本尊ちょっと不公平じゃないでしょうか…?!と言う気持ちにもなったことも確かですが、しかし「功徳」というものはやはり長い目で見ていかないと駄目なんですね。

ちなみにの話になりますが…、
古参の人は2人居て、一人は非常に仕事の出来るそして意欲も持っている人で、その人との関係改善が上述の話になりますが、もう一人の古株が問題で、彼は所謂「口だけ仕事」の人間です。
口先だけの彼は、態度は以前と変わらずの挨拶無用、対話無し…が今も続いています。

動ける(働く意欲のある)人間は、自分自身の古い考えを変えることが可能の様です。
でも、口先人間は情け無いプライドが先に立って最初に摺り込まれた怨念を決して変えることが出来ません。
そんな人間の彼を眺めていると「老害」という言葉がいつも頭に浮かびます…。
現実」や「事実」を決して見ようとしない、そしてそれを認めることが出来ないそんな人間は学会批判者の中にも腐る程居るようですが、彼らも「口先だけの人間」なんでしょうね…?

…まあとにかく、
今は、御本尊がプレゼントしてくれた夏場の日勤オンリー勤務に対してはとても感謝しています。
この状況が若し無かったとしたら、彼ら古株連中との面倒臭い不仲状態は今現在も続いていたはずです。

御本尊のお計らいは、凡夫の頭では俯瞰的には決して理解が出来ません。
表面上は「不幸」「」的な状況になったとしても、とにかく歯を食い縛って御本尊を保っている限りは、その不幸な状態はいつか必ず「全て功徳」一色に変わるものなのです。
…この「事実」を本気で信じ切ることが出来るか出来ないかが、「信心の肝」だと思うのです。

今は、自分自身の境涯革命と同時に、この職場の宿業も何とか転換していきたいとそう決意している毎日なのです。

単なる学会中傷者には決して理解出来がない事ですが、しかし少なくとも何年間かの学会活動を経験した方(覚醒者さん)にここで質問したいと思います。
学会在籍中に、学会指導や先生から「三障四魔」に対してどう言う対応を取るべきだと言われたでしょうか…。

辛くなった時点で「逃げるべき」…?
そんな「」はなかったことにすべき…?
三障四魔」には屈服すべき…?

それとも、魔には決して屈するべきではなく「最後まで」信心を保って戦うべき…?

〇   〇   〇

…今回の個人的な「日勤問題」は、三障四魔出来(しゅったい)などと言う大それたものでは勿論ないにしても、しかしこの程度の事でも問題の起こったその時点で真正面から事に対して向き合い、そして自分の出来る限りの努力(当然信心を中心に)を振り向けた時、その最終的に出てくる答えは自分自身の大きな成長に繋がるものなんだという経験をさせて頂いた事は、本気で感謝しているのです。


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Author: 乾河原

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