創価学会仏への補佐…

義父がこの夏、入院先の病院で、意識不明のまま亡くなりました。
享年90歳。

学会葬を終えて火葬場に行くまで、成仏の相は変わらないままでした。まるで、日蓮大聖人が義父のお側(そば)にそっと寄り添っているような、そんな感覚も受けた、そんなしめやかな学会葬でした。

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義父は、20年以上前に内蔵に癌が見つかって手術を受けましたが、その時点で「余命数年」の宣告を受けていました。
しかし、それから20数年の更賜寿命の、ある意味、それにも関わらずの元気な生活を送っていたのです。
そして、少々波瀾万丈の寿命を終えて、今夏、霊鷲山に旅立ちました。

彼は、入会はしていましたが学会活動(勤行、会合参加等)に関しては全くの無関心でした。
座談会に一度出たとか、そんな話は聞きましたけど、ブロック幹部が訪問してもそれなりの対応はするものの、その後はそのままになっていたと言う事です。
まあ、よくある完全未活動の学会員という感じの人でした。
…にも関わらず、御書通りの「成仏の相」で亡くなったのです。

御書に、下記の有名な御文があります。

『女人の御罪は漆の如し南無妙法蓮華経の文字は白物(おしろい)の如し人は臨終の時地獄に堕つる者は黒色となる上其の身重き事千引(ちびき)の石の如し善人は設ひ七尺八尺の女人なれども色黒き者なれども臨終に色変じて白色となる又軽き事鵞毛(がもう)の如しやわらかなる事兜羅緜(とろめん)の如し』 【「千日尼御前御返事」1316頁】

義父は建築業の仕事をしていて、生前は顔の真っ黒な人でした。
亡くなってから、文字通りに御書の通りの真っ白に変わったのです。

死後硬直は、普通は2~12時間程で表れるという話ですけど、そんな状態には一向になりません。
告別式(50時間ほど後)になってもまだ柔らかいままでした。
手を組むのもなかなか難しいぐらいの、当に『事兜羅緜(とろめん)の如し』だったのです。
妻は実父の柔らかい腕を持ち上げて、「ほら、凄いよ。全然、柔らかい…。寝てるようだよ」と何度も言いながら涙ぐんでいました。

義父は冒頭にも記した通り、創価学会員としては全くの未活動の人でした。
活動よりも飲み会や趣味を完全に優先する人でした。
そんな人のお葬式が、御書にある通りの状態というのは、…とても不思議に思えます。

実を言うと、義父には公明党議員の友人が居ました。
選挙になると、その議員を応援する為、寝る間も惜しんで走り回っていたのです。

十数年前のある選挙戦で、その議員が負けそうだと聞いて、本州まで飛んで行ったと言う事がありました。
その顛末(てんまつ)を当議員から聞かれた池田先生が、ある会合で義父夫妻を側まで呼んで、最後まで一緒に観覧していたという話を聞きました。
学会員ならそんな事があったら驚天動地ものでしょうけど、義父は未活動家ですので特段の思いは湧かなかったようです。

仏教説話に、仏道修行の仲間達を応援する為に、自分の修行を犠牲にして、彼等の身の回りの世話をする立場に徹した人の話があります。
有名な話ですけど、私は義父の立場はそれにそっくりだと感じるのです。

義父の使命は、公明党を応援して、「創価学会仏」(創価学会)の活動(修行)を側面から支える立場に立つ、と言う事だったんだろうと思います。
…未活動を装いながら、裏方に徹する人。なかなか「昭和世代の熱血漢」だったようです…。
ただ、義母は、未活動の旦那を抱えて大変だったとは話しています…。

考えてみると、そう言う使命を持った学会外(未活動、学会に好意を持つ)の人達って、意外に多いのではないでしょうか。
ウチの義父は選挙応援と言う事が彼の持っている「使命」でしたけど、他にも様々な表面には出て来ない、また見えてこない人々が、私たちの知らない間に「創価学会仏」の修行(活動)を陰でしっかり支えてくれているんじゃないかと、そう感じるのです。

自分の自覚していない「内面の使命」は兎も角、表面上は学会活動を邪魔したり、そこまではしなくても学会員を白い目で見る人達も多い今の日本社会です。
でも、「現在だけ」では見えてこない、外部の人なりの「持っている使命」は確かにあるのではないかと考えます。

実際問題として、未活動者や学会に反対する家族を持つ事って確かに大変です。
勤行一つ、会合一つやるのも行くのも、周りの人はそれぞれ気を遣う訳ですから…。
でも、題目を送り続けていくと、反対する彼(彼女)の「本当の使命」というものが見えてくるんじゃないでしょうか。
何となくそう感じるのです。

学会の本当の「活動」って、我々が思っている以上に多岐に渡っているのではないでしょうか…。
更に進めると、義父のように学会活動の補佐役と言う事を前提にして、今の「創価学会の活動の全体像」は我々学会員が思っているよりもずっと裾野が広くて、そして深いもののように思えます。

大聖人は、お題目による功徳の凄さを全民衆に広めようとされました。
我々は、「創価学会仏」の一員として、大聖人のその御遺命に対して何が出来るか、何を行うべきなのか、ここでもう一度足を止めてじっくり考えてみる事も大事なのではないかとも思うのです…。

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初秋、晴天の日曜日。親族が集まって納骨を行いました。
勿論、戸田記念墓地公園の、その一角です。
見渡す限りの自然の中で、今、義父は若干のお休みを取とっています。

数年後、今世以上に元気になって、そして新たな「自分の使命」を引っ提げて、元気一杯な学会っ子としてとして生まれてくるはずです。
必ず…。
(まあ、今度は余り女性を泣かせないようにお願いしますね…)


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Author: 乾河原

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